――英国殖民地だった頃・・・香港での日々(香港193)

――英国殖民地だった頃・・・香港での日々(香港193)
【知道中国 2311回】                      二一・十二・念八

――英国殖民地だった頃・・・香港での日々(香港193)

年端のいかない牧童の口にする人生哲学といったら大袈裟に過ぎるが、とどのつまり人生は「黄泉路上行」であり、ならば「只為口和身、口・・・和身」という辺りに行き着くことになるということだろう。

振り返ってみれば第六劇場では「小放牛」の牧童以外の登場人物からも、多くのことを学んだよう思う。たとえば明代に発生した事件を素材に書かれた『警世通言』(「玉堂春落難逢夫」)や『古今情史』を種本にした「蘇三起解」に登場する崇公道である。

この演目の主人公は「玉堂春」の源氏名を持つ妓女の蘇三で、彼女が歩んだ数奇な人生が描き出される。泉鏡花が翻案して『滝の白糸』に生まれ変わらせたとも言われているが、スカンピンになった身を助けてもらった妓女に思いがけない形で再会し、かつての恩返しするところ辺りは、長谷川伸の名作『一本刀土俵入』のような雰囲気も感じられないわけではない。

ある日、廓に上がった名家の息子・王金龍の席に侍ったのが蘇三。ひと目見るなり相思相愛となり、一気に「共に白髪まで」と誓い合う。かくてお定まりのコースで王金龍は廓に流連となるわけだが、いつしか王金龍の財布は底を尽く。カネの切れ目は縁の切れ目。ヤリ手ババアに廓から叩き出されたら、路頭を彷徨うしかない。不憫に思った蘇三が「一本刀土俵入」の台詞に倣うなら、「櫛、簪、巾着ぐるみ」を渡して助けてやった。そこで王金龍は一念発起して都に上り、めでたく科挙試験に合格し、位の高い役人に出世する。

一方の蘇三は王金龍を恋い焦がれ、客を取らなくなってしまう。そこでヤリ手ババアが奸計を弄し、山西省の豪商に高いカネで身請けさせてしまった。豪商の妻は意地悪で蘇三に辛く当たるが、どうやら豪商の目を盗んで若い書生との逢瀬を重ねている。浮気を蘇三に感づかれてしまったところから蘇三殺しを思いつき、毒を盛った。だが運悪く豪商が毒を食らい死んでしまう。そこで豪商の妻は裏から役人に手を回して、蘇三を犯人に仕立てあげた。かくして哀れにも、蘇三は無実の罪で獄舎へ。

折しも無実の者を救うべく、王金龍が巡察に出向いてきた。幸運にも蘇三の案件が再吟味されることになり、蘇三は獄舎を出て裁きの場まで護送されることになる。もちろん別れて後の人生を互いが知るわけはない。

護送に当たるのが老下っ端役人の崇公道で、護送道中の蘇三と崇公道の、時に軽妙に、時にシンミリとした遣り取りを描くのが「蘇三起解」だが、蘇三に梅蘭芳が、崇公道に蕭長華――共に空前絶後と言ってもいい大看板――が扮した舞台が最高だろうが、それは20世紀半ばまでの北京でのこと。そこは第六劇場である。蘇三を王雪燕が、崇公道を孟景海が演じる程度でガマンするしかない。それでも王雪燕の向こうに蘇三を、孟景海の向こうに蕭長華を思い描きながら見れば、それなりに納得できるから不思議だ。

「蘇三起解」は、崇公道が護送のために蘇三を貰い受けるところで幕が開く。手枷をさせられた蘇三が先に立ち、時に崇公道が先になり、2人の護送道中が始まる。やがて小休止。崇公道は蘇三の手枷を外してやり、2人して道端に腰を下ろしながら身の上話となる。

崇公道が「子供はまだしも孫もいない」と家系断絶を嘆くと、蘇三は「ならば妾が乾女児(義理の娘に)」と申し出た。護送される被疑者と護送役人が義理の父娘関係を結ぶというのも不思議な話だが、家系とはその程度の関係と考えれば納得できないわけでもない。

この時、蘇三が身の上話の流れで、身請けされた豪商のカミサンの酷い仕打ちを打ち明け、無実を訴える。そこで慰めるでも咎めるでもなく、「?説?公道、我説我公道、公道不公道、自由天知道(あんたは自分に道理ありと言い、ワシはワシに道理ありと説く。さてどっちが正しいか。お天道様が知るのみだ)」と、崇公道が呟くのであった。《QED》

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