――英国殖民地だった頃・・・香港での日々(香港169)

――英国殖民地だった頃・・・香港での日々(香港169)
【知道中国 2287回】                       二一・十・十

――英国殖民地だった頃・・・香港での日々(香港169)

 さて田氏の念願叶って華燭の典となるのだが、弟子は突然の頭痛に襲われ、息も絶え絶えに「人の脳味噌を食べさえすれば病気は治る」と。愛おしい人の命を救うには、死んだ荘子の脳味噌を取り出すしかない。そこまでの強い思いを称えるべきか。はたまた浅はかさを嘲笑うべきか。

 かくて喪服のままに田氏は荘子の棺に駆け寄り、もの凄い形相で手にした斧を振り下ろし「大いに棺を劈(さ)く」ものの、棺の中から現れたのは生き返った荘子だった。驚き、恐れ、床にひれ伏し、田氏は許しを請うばかり。田氏が惚れた弟子は、じつは荘子が幻術を使って変じた分身だったのである。かくて恥じ入るばかりの田氏は縊死して果てる。

 一般には、ここで「大劈棺」は幕となる。だが、田氏の死を見届け、世の無常を悟った荘子が、西方を指し果てなき旅に旅立つところで幕とする演出もあったらしい。

 これが「胡蝶夢」、あるいは「荘子試妻」とも呼ばれる「大劈棺」の粗筋である。

 台湾当局は「大劈棺」は「淫蕩、残忍、善良な風俗に害を及ぼすことを宣伝する」と認めて禁戯処分にした。

だが2006年正月になって、禁戯演目の総浚いを試みた国光京劇団の手で正式に公演されている。その時から現在まで、台湾で「大劈棺」がどのように扱われているのか。残念ながら詳細は不明ではあるが、台湾における国民党独裁体制の崩壊への動きが禁戯演目の解禁に重なっているところに、民主化であれ本土化であれ、台湾社会の変化が見て取ることが出来るだろう。

 中国においても「大劈棺」は台湾と同じ理由で禁戯措置を受けたわけだが、いったい「大劈棺」のどの場面が「淫蕩、残忍、善良な風俗に害を及ぼす」のか。疑問が疑問を呼ぶ。

 そこで第六劇場で飽きるほど愉しませてもらった「大劈棺」の舞台を思い出しながら、その疑問を考えてみたい。

 先ず幕開けの墓を扇ぐ場面はもちろんのこと、帰宅した荘子から話を聞いた田氏が扇を引き裂き、墓を扇ぐ未亡人の軽はずみを詰る場面には、さほどの違和感はない。

突然の悲劇に包まれ暗い雰囲気になった舞台を笑いに転ずるのが、荘子の使用人が葬儀屋の店先で葬儀の飾り付けの紙製人形を買い付ける場面だ。悲劇が一転して喜劇へ。喜劇の舞台が一転して妖気漂う場面へ。この辺りに芝居としての面白さが秘められている。

なお、この紙製人形は葬儀の間は棺の両脇に置かれて死者を守る。葬儀終了後、あの世に送られるべく燃やされる。あの世では、死者の身の回りの世話役を務めるのだ。

 ご主人様を突然亡くした悲しみに浸る間もなく、使用人は田氏に言いつけられ葬儀屋へ。店頭で値段交渉が始まる。もちろん葬儀屋は高くふっかける。使用人は安い値段を口にする。最終的に折り合った値段が「二百五(アルバイ・ウー)」。紙製人形は一対一組で、残る1つの値段が「三百三(サンバイ・サン)」。そこで「あいつはバカだ」と直裁に言う代わりに、「あいつは二百五だ」「三百三さ」と婉曲に表現する。まあ、そんなことはどうでもいいことではあるが。

 さて荘子の急死にしても荘子が幻術を使って変じた若者のお悔やみの場面にしても、大して問題があろうとも思えない。だが夫を亡くした直後だというのに喪服を纏った身で若者に恋心を抱き、しつこく言い寄って、一気に結婚にまで漕ぎ着けてしまうなどは、やはり「淫蕩」であり「善良な風俗に害を及ぼす」ことになるだろう。好きになった若者のためとはいえ、亡き夫の収まる棺を劈(さ)こうと言うのだから、余り褒められた話ではない。だが、だからといって舞台で頭蓋骨をかち割って脳味噌を取り出すような演技を見せるわけではないから、必ずしも「残忍」と言うわけでもなさそうだ。《QED》

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