――英国殖民地だった頃・・・香港での日々(香港119)

――英国殖民地だった頃・・・香港での日々(香港119)
【知道中国 2237回】                       二一・六・初九

――英国殖民地だった頃・・・香港での日々(香港119)

先ず簡単な文法の説明をした後、以下の例文を何回か読み上げる。

・佐藤君は福田君が好きです。

・佐藤君は田中君が嫌いです。

・佐藤君は、田中君より福田君が好きです。

・田中君は福田君が嫌いです。福田君も田中君が嫌いです。

・中曽根君は福田君が好きではありません。福田君も中曽根君が嫌いです。

・田中君は大平君が好きです。大平君も田中君が好きです。

・福田君は大平君が嫌いです。

・佐藤君、福田君、田中君、大平君、中曽根君、みんな三木君が嫌いです。

次に、この例文を読み上げ、学生に復誦させる。これを何回か繰り返した後、「佐藤君は誰が好きですか」とか、「田中君は誰がきらいですか」とか、「中曽根君が好きなのは誰ですか」などと質問する。最後に以上の例文をゆっくり読んで書き取りをさせる。

「毛沢東は劉少奇も周恩来も嫌いです」「劉少奇も周恩来も、毛沢東が嫌いです」「周恩来はいい人ではありません。悪い人です」「台湾の人は蔣介石が好きではありません。大嫌いです」などと声をあげたい誘惑に駆られはしたが、断念した。それというのも学生の中には中国系デパートの店員もいたし、共産党シンパから親国民党、反国民党、徹底した反共まで学生の思想傾向は多種多彩で種々雑多。教室に要らぬ波風はご法度だからだ。やはり君子危うきに近寄らず、である。

さて学生は一生懸命に聞き取ろうとするが、読み上げているこちらは可笑しくてタマラナイ。まさか当の「三角大福中」も、権力をめぐる自分たちの鞘当て争いが香港で日本語学校の教材になっているとは思いもよらなかっただろう。なんともケッサクで愉快な教室風景であったことを思い出す。

そんな頃のことだった。香港留学前にお世話になったTさんから手紙が届いた。高田馬場で麻雀荘を経営しいてTさんは、上海の東亜同文書院大学最末期の学生だった。そこで麻雀荘に通っては、敗戦前後の同大学の学生生活やら上海市街の思い出を肴に飲み放題で御馳走になった次第だ。とはいえアルマイト製やかんの湯を注いでのサントリー・レッドだから、やはり御馳走と言うほどのことはない。肴は超一級ではあるが。

Tさんの手紙には「田中徹雄先輩が香港に行き、1週間ほど滞在する。先輩は中国語に問題はないが、なにせ香港の街には疎い。そこで香港滞在中、案内役を務めてくれ」と。Tさんの手紙を追いかけるようにして、郷里の父親から同じような内容の手紙が届いた。

その後、Tさんから田中さんの日程が送られてきたので、到着の頃合いを見計らってホテルに電話すると、「××時にホテルに来てくれ」。

指定された国際酒店は尖沙咀の繁華街の外れ、金馬倫道が漆咸道に突き当たる少し手前の左手に在った。部屋に入る。中背の頑丈そうな体に乗っかった丸顔。太い眉の下の眼はギョロッと鋭く光る。たしかに新聞で目にした記憶のある田中さんだった。

じつは大学に入った1966年、大型台風に襲われ山梨県で大きな被害が発生したことから、大学の山梨県人会(さて、現在も大学内で××県人会といった類の組織が活動しているのだろうか)で義援金募集活動をしたことがある。「この場に~、結集された~、総ての~学友諸君!」と独特の調子の“常套句”で始まるアジ演説の隣で、「山梨の台風被災者に義援金をお願いしま~すッ!」。学園紛争真っ盛りのキャンパスで見られた不思議な光景だった。

台風被害対策の陣頭指揮を執った山梨県副知事の田中さんは、土石流に襲われ両親を亡くした女の子を養女に迎えた。その田中さんが、いま目の前に立っている。《QED》

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