――英国殖民地だった頃・・・香港での日々(香港109)

――英国殖民地だった頃・・・香港での日々(香港109)
【知道中国 2227回】                       二一・四・念九

――英国殖民地だった頃・・・香港での日々(香港109)

 

1970年代前半の香港を振り返り、頭の中に浮かぶ思いを拾い出してみると、

――雑踏、人慍れ、生身の体が発するヌメッとする汗臭さ、騒音にしか聞こえない広東語、道路を覆うように張り出された巨大でド派手なネオン、どこか信用できそうにない警察官、そんな警察官が用心棒を務める不法賭博場、カジノを「娯楽場」と呼ぶ不思議な感覚、路線バスの運転手という正業を持つ裏社会のアニキ、法律事務所に本拠を置く裏社会の統領、日本の全国規模のヤクザ組織幹部とのビジネスに励む共産党系企業家、デタラメ情報の極致とも言える「香港情報」、海外観光客相手のニセ・ブランド品、奥まで言ったら戻ってこられないような怪しげで隠微な空気感の漂う路地、残飯を漁る乞食、毛の抜けた野良犬、?せこけた野良猫、気味悪い歯医者のカンバン、不衛生極まりない診療所の医者(はたして免許状はホンモノなのか)、窓から道路に突き出された物干し竿、排気ガスが充満する歩道のガードレールに干された薄汚れた洗濯物、犬小屋より小さいくジメッと薄暗い超狭小住宅・・・共産党支持を公言する国民党派、自称国民党員で共産党シンパ、英国パスポートを持つ共産党支持者・・・数え上げたら際限なく続きそうだから始末に困る。

敢えて形容するなら、無秩序が充満する社会を秩序立てる不思議なカラクリ。一言で表現して混沌の坩堝、あるいはクソ味噌一緒の桃源郷・・・だったような。

ともかくも問答無用状態で街全体が旺盛な活力に満ち溢れ、混沌が醸し出す自由な空気が街を圧倒していたように思う。書かれたものからしか想像できないが、「魔都」と呼ばれていた時代の上海の街は、こんな佇まいではなかったか。

殖民地であるから政庁(殖民地政府)を軸に社会の秩序は保たれていたはずだが、抜け穴も数知れず。共産党政府の統制の下に置かれた共同体もあれば、?介石政権を正統中国と訴え続ける「香港に取り残された国民党」の集落もあった。そこでは中華民国の国旗である晴天白日旗がはためき、香港とは思えない雰囲気が感じられた。だが、国旗の色褪せ具合が彼らが置かれている立場を問わず語りに物語っているようであった。

殖民地政府にとって香港は究極的には「借りている場所」でしかない。どう足掻こうが、圧倒的多数の住民に主権はない。共産党政権は影響力を及ぼすことはできても、それは限定的でしかない。権力絶頂期の毛沢東であったとしても、殖民地政府と背後のイギリスを押しのけてでも自らの政治的意思を香港で貫くことは、殖民地の仕組みの上から法的にも不可能だ。?介石政権は正面切って口を差し挟める立場にはないし、その力もない。

こう考えると、殖民地としての香港の仕組みからして、誰もが香港の運命に関する最終権限(責任)を持ってはいないことになる。かりに殖民地政府をA、住民をB、北京の共産党政権をCとして考えた場合、A、B、Cの3者の利害が一致することはないのである。

政治的に考えればAとBは共同歩調を取れるだろうが、これにCが加わるわけがない。漢族と言う要素に基づくなら生活文化的にBとCの間にはさほどの違和感はないだろうが、これにAが同調することは夢物語以上に非現実的だ。さりとてBを除外してAとCとが手を組むことはないだろう。なぜなら香港の生命線である経済の根幹はBが握っているのだから。Bがソッポを向いたら、金の卵を産む鶏に待っているのは、ほぼ衰弱死だった。

つまり香港に関する生殺与奪の権限はA、B、Cのどれもが単独で持っているわけではなく、加えて3者が一致することもない。これが殖民地としての香港の基本構図といえるだろう。A+Bという組み合わせは可能だが、B+C、C+Aという組み合わせは考えられない。これを中国語で表現すれば九龍城を形容する「三不管」に当るだろう。だとするなら香港は巨大な九龍城ではなかろうか。かくて、いざ次なる舞台・・・もちろん九龍城へ。《QED

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