――「支那は日本にとりては『見知らぬ國』なり」――鶴見(4)鶴見祐輔『偶像破壊期の支那』(鐵道時報局 大正12年)

【知道中国 1910回】                       一九・一・仲五

――「支那は日本にとりては『見知らぬ國』なり」――鶴見(4)

鶴見祐輔『偶像破壊期の支那』(鐵道時報局 大正12年)

 周作人といえば思い出すのが香港留学時代に知った鮑さんである。じつは鮑さんが、共産党政権下の北京で一種の“幽閉生活”を強いられていた周作人にとっての日本との窓口だった。周作人は文革が始まった翌(1967)年に亡くなっているが、生前は手紙で鮑さんに東京出張の際には神田や本郷界隈の老舗の品物を指定して買ってきてくれるよう依頼していたそうだ。注文先が“通”しか知らないような老舗だったというから、やはり周作人にとって青春を過ごした東京は格別の地であったに違いない。因みに彼の妻は日本人であり、彼女と魯迅の折り合いの悪さが後の周兄弟疎遠のキッカケだったとも言われる。

 鶴見を前にして周作人は語る。

 「私は近頃日本の小説を支那語に譯して見ますが、その時、如何にも支那文字の不足と言ふことを感じますね。從來の支那文字では、どうも感じがしつくり出ない。日本文は此の點では、永く西洋の影響を受けて居ますから、餘程現代人の心持にしつくり合ふやうになつて居ますね。支那文字では、まだどうしてもそこまでは往きません」。

 「久しい前から、日本語については深い疑ひを持つてゐた」という鶴見は、周作人の発言が「大變面白かつた」らしい。じつは鶴見は「偏狹な愛國心を離れて靜觀する時、日本語と言ふものを驅使して、日本人がどれだけの思想的水準に上り得るか疑問と思ふ。併し、現代の支那語は、それ以上に實生活とかけ距れた不便なものであると言ふことを聞いて驚いた」。

 周作人の発言から、鶴見は「現代の支那語」が「實生活とかけ距れた不便なものである」ことを初めて知ったことになる。

 胡適、陳啓修、呉虞、周作人などと話をして鶴見が感じたことは、「支那の文學革命の波が、今この大きな國のうちに擴がつてゆく」ことであった。だが、だからといって、それが「現代の支那を動かす最も大なる力である、と言ふわけではない」。古い国であればこそ。「かういふ歷史が繰りかへして來た」ことになるのだ。

 1911年の辛亥革命は清朝を倒し、漢族の国である中華民国を建国したものの、「本當の意味に於ける革命ではなかつた。專制政治に對する、議院政治の勝利とすらも往かなかつた」。じつは「當時の支那人は佛蘭西革命の前にあつた精神的動揺時代を經過してゐなかつた」。だが最近になって「支那民族の思想的動揺の端緒が起つて來た」。つまり新文化運動であり文学革命だ。「鋭き懷疑の精神を以て古き傳統の偶像を片つ端から破壞しやうと言う眞劍な心持が、一部の人々の間に湧いて來た」。そこで「今迄は、考へることなしに、先祖から相續したものを、彼等は根本的に『何故』と探究し始めた」のである。

 鶴見は、過去2年半の彼らの動きから「懷疑精神の勃興」を読み取り、「偶像破壞の運動」を認め、次にやってくるであろう「建設的運動」の形態、時機に注目する。そして、いくつかの事実を指摘する。第1が「今日の支那の思想界には、まだルソーは出てゐない。トルストイもまだ出てゐない」。つまり歴史の試練に耐える思想家が生まれてはないとうこと。第2は「今日の支那は、或る外國人の夢みるやうな、英雄政治の實現を許さない」。フランス革命後に出現したナポレオンのような武人独裁者が現われ「天下を統一するであらうと言う空想に、對支政策の根底を置く人が萬一あるならば、その人は必ず失望するに違ひない」。第3は「今日の儘の形では、支那の議院政治は成功しまいと言うこと」である。

 じつは古くから官吏になることが学問、殊に儒学徒の目的だった。だから「競爭激烈となつて腐敗を來した」。こういった風潮を「矯正する爲めには、學徒の目的を官吏以外、實業、科學、文藝、百般の方面に置かしむるべし」との主張を、鶴見は熱烈に支持する。《QED》

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