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――「只敗殘と、荒涼と、そして寂寞との空氣に満たされて居る」――諸橋(15)諸橋徹次『遊支雜筆』(目�書店 昭和13年)

【知道中国 1842回】                      一九・一・仲二

――「只敗殘と、荒涼と、そして寂寞との空氣に満たされて居る」――諸橋(15)

諸橋徹次『遊支雜筆』(目�書店 昭和13年)

 

 長江を遡り諸橋の旅は続く。

よくもまあ、と思えるほどに丁寧に名勝旧跡を回り、関連する故事来歴を記しながら、時の流れの中で惨澹として珍妙に変わり果てた姿を綴っている。だが、これまで見て来た惨状と大同小異なので敢えて割愛するが、やはり大冶鉄山については日本人として記憶しておくべきと思うので、手短に綴っておく。

 じつは大冶が全山鉄鉱山であることを発見したのは、清末に近代化を進めた代表的指導者の張之洞の秘書だった。彼は古書の記述から一帯には鉄鉱山があると推測する。そこでドイツ人技師に調査を依頼すると、はたせるかな豊富な鉄鉱脈を発見したものの、「其の技師は張之洞に先立つて、本國の公使に知らせた。獨乙公使は素知らぬ顔で其の邊りの土地を讓與して欲しひ」と張之洞に申し出る。すると「此のくせものと、張は一喝の下に技師を解雇した」。なんともドイツ人の振る舞いはセコイ。やはりドイツ人はセコイのだ。

 陶淵明の墓に詣でるべく旅を続ける。某村に着く。「夕日輝きて心地よし」。農家に宿を頼むと「殊勝にも御泊りなされ」と。「地獄に佛なり」。だが「室に入れば汚きこと限りな」く、「戸障子とては一枚もなし」。「先ず伴へる苦力に飯を炊かせて」、諸橋は「其の家より芋と葱とを買求め」て調理して食事とした。疲労の余りかバタン、キュー。「一睡の後醒むれば、予の伴へる苦力と宅の主人とは、尚頻りに酒を呑みて興がる」。苦力は得意げに諸橋は老朋友だと説明している。「可笑い」。

 そこまではよかったが、そのうちに「苦力小便せまほしと云ふ」。すると「主人自ら導いて至れる」のは諸橋の寝ている部屋だった。「南無三寶、臭氣鼻を撲ちて堪へ難し。點燈して見れば汚き便器四疊半にも足らぬ我が室にあるなり」。かくて我慢ならなくなった諸橋は「苦力を呼び、命じて其の便器を取去らしむ」。

あの謹厳実直を絵に描いたような漢学者の諸橋が、なんと「汚き便器」の隣で「臭氣鼻を撲ちて堪」い思いを抱きながら寝ていたとは。古人の言うように、確かに艱難汝ヲ玉ニスルものらしい。

 某地でのこと。「最上の旅館なりと馬夫の案内」に誘われると、「狹隘湫隘殆ど馬小屋にも劣る處」だった。しかも「室外には馬糞積んで山の如し」。

 また或る所では。「此の地旅館なし。驛長に一宿を乞うへば、近來土匪猖獗にして、城外の地は保證し難し、日の暮れざる間に」、早く市街地行って衙門(やくしょ)を訪ねよ、と。

 その土匪だが「居民に課する強制徴収は甚だ苛酷」であり、支払いに応じな場合は「立ちどころに之を殺す」。当時、一帯に土匪が多かったのは、北京中枢の一角を占めていた段祺瑞麾下の軍が敗北したからであり、兵士たちは「段軍の潰散と共に今郷に歸り、土匪とな」ったからである。そこもと左様にして食いっぱぐれれば流民になり、流民は匪賊になり、匪賊が兵士になり、運よく戦で軍功を挙げればトントン拍子に出世して、将軍となり政府の役人に。破れた兵士は匪賊になり、匪賊は流民に。やがて流民から乞食に。これが「好い鉄は釘にならない。好い人は兵にならない」人々の、人生双六ということになる。

 曲阜の孔子廟を訪ねた時のこと。「今朝來土匪の猖獗を傳ふる事頻りなり。曰く尼山に五百人の土匪あり、首領を于三�と云ふ。久山に二千五百の土匪あり、首領を劉某と云ふ。之に對して濟南第五師團歩兵の一營千五百人之に當り居れども、官軍戰毎に利あらず、今は曲阜を去る遠からざる姚村まで土匪の襲來あり」。どうやら孔子サマの有難さもご利益も、土匪の前では役には立たなかったようだ。やはり小人は閑居して不善を為すものだ。

数多くの奇天烈な体験も、また『大漢和辞典』作りの下地になったのだろうか。《QED》

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