――習近平少年の読書遍歴・・・“あの世代”を育てた書籍(習103)

【知道中国 2437回】                       二二・十・念

――習近平少年の読書遍歴・・・“あの世代”を育てた書籍(習103)

『紅心似火』は71年2月に、『造船工人志気高』は2か月後の4月に、『闖出為人民服務的広闊天地 記広中理髪店為人民服務的先進事迹』はさらに2か月が過ぎた71年6月に、それぞれ出版され、林彪は否定されてはいない。

71年7月段階には、毛沢東と林彪の権力争いは最早引き戻せない段階に立ち至っているにも拘わらず、『人民日報』や『解放軍報』の新聞紙面には毛沢東と林彪が天安門楼上でニコヤカに談笑し並び立っている写真が掲載されているわけだから、やはり共産党中枢における権力闘争の陰湿さは、外部からは窺い知ることは出来そうにない。

ここで両者の権力闘争から少し離れ、いまから考えれば首を傾げざるを得ないような話題を扱った本を若干紹介しておきたい。

先ずは71年9月に香港の中国系平正出版社から出版された『針刺麻酔探秘』(林健雄編)だが、「前言」で「患者が手術台に横たわり医者が手術を施す。医者は患者に麻酔薬を使わないが、患者の精神は冴えわたっていて話が出来るだけでなく、食べ物を口にすることだってできる。だが、痛いという感覚は全くない」と、針麻酔のスゴサを自賛している。 

 この本出版当時、すでに中国では40万件以上の成功例が報告され、生後2日の嬰児から80歳を越えた老人まで、軽い病気から「休克(ショック)」が原因で意識不明になった重病人まで、頭部から胸部・腹部を経て四肢に至る疾病まで、成功率は90%前後と報じられていた。

 そもそも漢方の一部として古くから針治療は行われてきたが、鎮痛効果に着目した医者が扁桃腺摘出手術で使ったのが最初らしい。

大躍進が始まった1958年に本格的に針麻酔の臨床実験に着手したが、当初は「非科学的だ」「実用の価値なし」といわれ全国的に普及することはなかった。ところが文革がはじまるや、この種の考えは劉少奇一派のブルジョワ医学的思考と徹底攻撃され退けられる。

自力更生という摩訶不可思議な“毛沢東式中華国粋主義”が一世を風靡し、かくして「統計によれば、文化大革命前の8年間に全国で行われた針麻酔による手術は1万例に満たなかった」。だが文革開始以来、「各地で施された針麻酔による手術は40万例を軽く突破。上海市の場合、手術可能施設を持つ病院の90%以上で針麻酔が施されている。上海市のある病院においては脳外科手術の90%以上で針麻酔を実施した結果、手術後の死亡例は大幅に低下」することになったそうだ。

 そもそも中国では「統計によれば」の「統計」に問題が潜んでいるだけに、そのまま信じるわけにはいかない。だが針麻酔と文革、つまり毛沢東思想が極めて近い関係にあったことだけは確かだろう。なにせ毛沢東思想は「百戦百勝(ばんのう)」なのだから。

 この本には「針刺麻酔下開刀目撃記」と題し、実際に針麻酔手術を見学した何人かの外国人の手記が付録として納められているが、なかでも興味深いのが菅沼正久・本州大学教授のそれである。ところで今は忘れられてしまったが、菅沼は当時の日本論壇・学界で文革礼賛の旗を狂気のように打ち振った代表的人物である点を特記しておきたい。

 武漢医学院付属第二医院の手術室の2階に設けられた見学室で、菅沼は「直径4メートル」のガラス越しに階下の手術室で執刀中の医者の手元を見つめる。

患者は共に労働者で、40歳ほどの女性と50歳前後の男性。前者は甲状腺、後者は三叉神経の患者だ。執刀医と看護婦は総計8人。「10時01分、患者を含む全員が一斉に『毛主席語録』を学習する。10時09分、執刀開始」。10時36分、2センチほどの患部を摘出。6分後に縫合手術開始。完全消毒のガーゼで傷口を包む。「10時58分に縫合手術完了。同時に針麻酔も終わり針を抜く。11時過ぎ、すでに患者はベッドから起き上がる。《QED》


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