――習近平少年の読書遍歴・・・“あの世代”を育てた書籍(習91)
『哲学闘争与階級闘争』は、楊を次のように批判する。
(1)52年に「この上ない悪臭を撒き散らす『総合経済基礎論』をでっち上げ、社会主義経済と資本主経済の『二を合わせて一とする』ことを宣揚した」。
(2)58年に「下心をもって大胆にも『矛盾の同一性を利用する』と称し、我が党を『対立面の闘争を説くのみで、対立面の統一を語ろうとしない』と当てこすり攻撃した」。
(3)「劉少奇のための『階級闘争消滅論』に哲学的根拠を与える一方、毛主席の偉大な著作の『人民内部の矛盾を正しく処理する問題について』に直接対抗しようとした」。
――このように楊に対する批判を整理してみたが、なぜ楊は激しく批判されなければならなかったのか。その“罪状”の論拠は曖昧であり、たんなる言い掛かりに過ぎないようにも思える。
毛沢東の考えを、楊は「主観能動性を強調するものでしかない」とニベもなく退けた。マルクス主義とは関係なく、「主観的能動性」に支えられた毛沢東思想は、とどのつまり「人民よ、やる気になればなんでもできる」との掛け声に過ぎない、ということだろう。
この毛沢東思想のカラクリを暴いてしまったことが、どうやら楊が負うべき最大の“罪”だったようだ。
次は香港の中国系出版社兼書店の三聯書店が出版した『沿着毛主席革命路線勝利前進』である。どうやら当時の中国を代表する3大公式メディア――『人民日報』『紅旗』『解放軍報」――が71年元旦に発表した長文(冗長?)な共同社説を、香港の左派に周知徹底させるために編まれたと思われる。
「偉大なる70年代の最初の1年が過ぎた。わが国各民族は社会主義革命と社会主義建設が高まる潮流の中、そして全世界人民によるアメリカ帝国主義と社会帝国主義に反対する闘争の高まる潮流の中に在って、戦闘的な1971年を迎えた」と、冒頭から異常なまでの高揚感に溢れている。
続いて「新しい1年が始まるに当たり、我われは毛主席のプロレタリア階級革命路線の勝利を熱烈に歓迎し、我らが偉大なる領袖毛主席の万寿無疆を衷心より祝うものである」と文革最盛期に常用された“常套句”を置いた後、いよいよ本題に移る。
「偉大なる領袖毛主席が1970年5月20日に発表した『全世界人民は団結し、アメリカ帝国主義とその一切の走狗を打ち破れ』との荘厳なる声明において、『新たなる世界大戦の危機は依然として存在している。各国人民は一切の備えを為すべきである。ただし目下の世界の主要な傾向は革命である』と指摘されているが、国際情勢の推移は毛主席のこの科学的論断を実証している」と受けた後、各国人民の戦いぶりを紹介する。
その戦いの先頭に中国が立つことを高らかに宣言し、最後を「偉大で光栄に充ち正確な中国共産党万歳!/我らが偉大な領袖毛主席万歳、万々歳!」と結んでいる。
ここで、ゴチックで強調されている次の部分に興味を持った。
「毛主席は『わが国人民は一個の遠大なる計画を持つべきだ。何十年かのうちにわが国は経済と科学文化の面における落後した情況を努力して改変し、すみやかに世界の先進水準に到達させなければならない』と教え説かれた」。
かくて冗長な論文は「偉大で光栄に充ち正確な中国共産党万歳!」の定型句で〆となる。
「我らが偉大な領袖」が中国は「経済と科学文化の面」で世界水準から「落後した情況」と認めてから、半世紀余が過ぎた。習近平を頂点とする「偉大で光栄に充ち正確な中国共産党」に導かれる現在の中国は、少なくとも経済規模と軍事の面に関しては「世界の先進水準」を超えた・・・ならば「我らが偉大な領袖」と習近平を較べ、エライのはどっち。《QED》