――習近平少年の読書遍歴・・・“あの世代”を育てた書籍(習81)
副隊長に「キミは戦友を指揮し訓練継続。これからボクは後方点検に向かう」と命令するや、隊長の志紅クンは山を下る。
やがて足を折って叢の中にうずくまる志軍クンを発見するや、「志軍、前進せずともいい」と優しく声を掛ける。すると痛さを堪えながらも、「隊長ドノに報告ッ。継続前進ッ」。やがて志紅隊長は部下の志軍に肩を貸し前進するのであった。
山頂で2人を出迎える真っ赤な夕陽に照らされ、紅小兵たちの凛々しいシルエットが山頂に浮かび上がる。27話のうちの1つ「継続前進」である。もちろん真っ赤な夕日が意味するのは毛沢東だ。
次は毛沢東思想で鍛造された極めて優秀な老女の話である。
『向優秀的共産党員学習』(上海人民出版社)が出版された時点では、毛沢東と林彪の間の権力を巡る闘いは、まだ表面化してはいない。暗闘の段階だったと思われる。
公式には「資本主義の道を歩む劉少奇」を打倒し、同書出版1年前の69年に開かれた第9回共産党大会で林彪は毛沢東の後継者の地位を確保している。まさに毛=林派によって導かれた文革路線は順風満帆で勇壮闊達。向かうところ敵なしとされていたはず。
冒頭に『毛主席語録』からの「私はこういったスローガンに賛成だ。つまり『一に苦を恐れず、二に死を恐れず』」の一節を引き、毛沢東の教えを徹底して謹厳励行した優秀無類な13人の共産党員の“超感動的な物語”が納められている。
「一に苦を恐れず、二に死を恐れない共産主義の戦士」「革命の車をしっかりと引っ張り、一気に共産主義に突き進め」「プロレタリア階級の先鋒戦士 三大革命運動の闘将」「党にとっての好き娘」「一生を党の指示のままに捧げる」「一心不乱に社会主義の道を歩く鉄の意思」「元気溌剌の共産党員」「人民のために死して後已む」「プロレタリア教育革命に英雄的に献身した先鋒戦士」「毛主席への忠義は最高の党性」「毛主席に無限の忠誠を誓う良き党員」「社会主義の商業陣地を死守する先鋒戦士」「天目山上の青松」――と、13人の「優秀な共産党員」を讃える報告の表題を一瞥しただけでも、「滅私奉公」ならぬ「滅私奉毛」に生きた人々の“真摯な姿”が想像できそうだ。
たとえば「元気溌剌の共産党員」に描かれている地区革命委員会委員だが、じつは71歳の老女だが、同委員会の上級に位置する県革命委員会副主任でもある。革命委員会とは文革派の攻撃によって崩壊した共産党組織に代わって打ち立てられた権力機構だから、その辺のバアさんとは大いに違い、彼女は地域の大権を握っている幹部の1人に当たる。ということは、おそらく地域における毛沢東思想の体現者であり、文革の指導者だろう。
1954年春、彼女は毛沢東の農業集団化・共同化の呼び掛けに応じ、近在の貧農らと農業生産合作社を組織した。だが「叛徒、内なる敵、労働匪賊の劉少奇が資本主義の復辟を目論み」、悪辣な手段を使って合作社破壊に乗り出す。
そこで彼女は「解放前、ワシらは地主や富農に虐め尽くされ、絞り取られ、まるで牛馬のように惨めな生活じゃった。毛主席サマがワシらを集団化の光明大道にお導きくださったんじゃい。合作社は、たとえ死んでも解散なんぞ断固として許しはせん。毛主席がお導きなさる社会主義の路線を断固として進むんじゃ」と立ち上がった。
以来、一貫不惑で「毛沢東命」。やがて文革ともなると、「彼女は必ずや毛主席を守り尽くすと念じ、劉少奇ら走資派が推し進める資本主義の復辟なんぞは死んでもさせるものかと、堅く心に誓」った。文革式肝っ玉バーさんだ。
かくて毎晩眠い眼をこすりながら、解放前の辛酸を舐め尽くした生活を憶い起こし、「共産党員が困難に出会った時は」と、貧農の先頭に立って闘いを続けたのである。《QED》