――習近平少年の読書遍歴・・・“あの世代”を育てた書籍(習82)
バアさんの物語は「一心を革命に、一心を人民のためにという紅い心に二心はない。毛沢東思想を活学活用しようと、彼女のさらなる努力は続く。より確実で大きな歩幅で、彼女は継続革命の大道を勇猛果敢に前進する」と、“文革式大々賛辞”で閉じられている。
苦境にたじろがず逆境にうろたえず、周囲を励まし敢然と困難に立ち向かう。こういった生き方は『楊門女将』『釣金亀』のような古典京劇の名作に登場する老婆に重なる。71歳の「元気溌剌の共産党員」は中国人が思い描いてきたバアさんの理想像――バアさんは飽くまでも正しく、家庭・家族の心のより所である――を体現しているようにも思える。
そういえば革命現代京劇でも『紅灯記』『龍江頌』『杜鵑山』などに登場する老婆は準主役級立場から主役を叱咤激励し、革命(あるいは反革命勢力を打倒・殲滅・粉砕する闘争)に大きな役割を果たす。やや飛躍気味だが、やはり中国文化――《生き方》《生きる姿》《生きる形》――を知るうえで、バアさんの振る舞いは要注意なのだ。
実際に家族を内側で統べるのは母親(バアさん)であるはず。であればこそ中国の家族制度の基盤は家父長制だとする通説では、中国文化は正しくは捉まえられないように思う。
『十万個為什麼』と連環画『列寧在十月』も、この年に上海人民出版社から出版された。
前者は全13冊という大部のシリーズで、第1巻が1970年に出版され、最終13巻の配本完了74年だった。セッセと買い込んだが、全巻配本完了までの4年間に発生した主な動きを挙げておくと、毛沢東と林彪の対立顕在化(70年)、林彪のナゾの逃亡とモンゴルでの墜落死(71年)、林彪事件総括の第10回党大会(73年)、四人組台頭と批林批孔運動(74年)――文革後半の激動期を通じて出版し続けたことになる。
このように文革は激変し、新たな路線や新たな敵が次々に設定された。だから新たな政治環境に応じるよう内容の変更を迫られ、編集者も執筆者も大いに戸惑ったことだろう。
書名は『十万個為什麼』だが、10万個も「為什麼(なぜ)」と設問されているわけではない。「十万個」はイッパイを表している。第1巻冒頭の「ナゼ、我われは計算や数字を記録するのに10進法を使うのか」からはじまり第13巻最後の「ナゼ、勝手にツバを吐くのはダメなのか」まで、各巻に100から130前後の「ナゼ」が挙げられ、その回答がイラスト入りで判り易く解説されている。
とはいえ「ナゼ、毛沢東は偉大なのか」「ナゼ、文革は発動されたのか」「ナゼ、劉少奇の粛清は必要だったのか」「ナゼ、林彪は逃亡したのか」などといった類のアブナイ話は、当然のように扱われているわけがない。先ずは、子供たちが日頃の生活の中で持つに違いないような素朴な疑問を解き明かすことで自然科学に対する理解を促そう。これが浩瀚なシリーズ出版の狙いだろう。
当シリーズの初版出版は大躍進失敗から毛沢東の権威が後退し、どん底経済立て直しに辣腕を揮ったことで国民間に劉少奇への期待が高まった時期の1962年だった。1970年版は1962年版の改訂版で、劉少奇と毛沢東の立場が逆転するなど、政治情況が大きく変化した状況下では、さすがに初版シリーズをそのまま出版するわけにはいかなっただろう。
その辺りに事情は、各巻冒頭の「重版説明」で「これまで叛徒・内奸・工賊の劉少奇の反革命修正主義文芸の黒い方針とその影響下にあって、多くの誤りが存在し、マルクス主義・レーニン主義・毛沢東思想を積極的に広めないだけではなく、〔中略〕知識万能を宣揚し、趣味性を追及し、封建・資本・修正主義の毒素を撒き散らす内容の書籍が少なからず横行していた。偉大なるプロレタリア文化大革命の運動の過程で広範な労働者・農民・兵士と紅衛兵の小将軍は、それら書籍の持つ誤りを厳格に批判し、修正主義文芸の黒い方針と黒い方針による出版がもたらす害毒を徹底して粛清した」と説明されている。《QED》