このとき、浅野教授は、台湾の総統選挙には「投票2ヵ月前の支持率は投票日まで不変」という法則があるという独自の分析結果から、99%の確率で蔡英文総統は再選されると述べ、会場を驚かせた。
本誌では何度も世論調査の結果を紹介してきているが、確かに今回の総統選挙の結果と大きく食い違うことはなかった。
ジャーナリストの野嶋剛氏も、予想外だった総統選挙の74.9%という高い投票率に驚きつつ、「台湾の選挙は1ヵ月前に結果がついているケースが多く、直前の選挙運動で大きく動くことはまずない」と指摘している。ちなみに、立法委員選挙の投票率は総統選挙よりも高く75.13%だった。
蔡英文・頼清徳コンビの得票は817万票で、この史上最高の得票をもって台湾紙は「狂勝」や「狂紀録」といった表現を使い、日本メディアも多くが「圧勝」と表現した。しかし、野嶋氏も指摘しているように、得票率をみれば今回は57.13%で、前回(2016年)の56.12%を1%しか上回っていない。得票率なら、2008年の馬英九・蕭萬長の58.44%(得票数:765万票)が史上最高だった。
また、韓國瑜・張善政コンビの552万票は得票率にして38.61%で、前回(2016年)の朱立倫・王如玄コンビの381万票(31.04%)をかなり上回っていて、民進党は議席数こそ61議席で国民党の38議席を凌駕して過半数を制したものの、けっして大勝というわけではない。
さらに言えば、政党の得票率だ。比例(不分區)の得票率は、民進党:33.97%、国民党:33.95%とほぼ拮抗していて、当選者も13人で同じだった。台湾民衆党:11.22(5人)、時代力量:7.75%(3人)、親民党:3.66%(0人)、台湾基進党:3.15%(0人)、緑党:2.41%(0人)、新党:1.04%(0人)、一辺一國行動党:1.01%(0人)と続く。
つまり、民進党、国民党、他党の3つがほぼ33%ずつにきれいに分かれ、総統選挙では蔡英文・頼清徳コンビに投票したものの、比例では民進党以外に投票したケースが多かったことを示している。
そのような状況で、台湾の本土化を目指す若者たちが立ち上げた「台湾基進党」の陳柏惟候補(34歳)が台中2区で11万2,839票をたたき出し、国民党の現職候補を5,073 票差で破って初当選したことは、若者の投票が多かった今回の選挙を象徴するものだったのではないだろうか。
野嶋氏もほぼ同じ観点から分析していて「今回、若者たちは政党票を第三勢力に、総統票と小選挙区票は蔡英文総統に、それぞれ分裂する形で投票したのだ」と指摘している。下記に野嶋氏のレポート全文をご紹介したい。
—————————————————————————————–台湾の選挙に日本人が「感動」する理由 野嶋 剛(ジャーナリスト)【JBpress:2020年1月18日】
◆注目すべき「74.9%」という投票率
1月11日に行われた台湾の総統選で、過去最高の817万票を獲得した勝利した民進党・蔡英文総統。その得票数に注目が集まったが、むしろ注目すべきは74.9%という投票率であった。
蔡英文総統の得票率自体は57.1%であり、2012年の初当選の得票率56.1%を1%のみ上回った。二期目でも得票率を伸ばしたことは評価できるが、異常なほどの高い投票率がなければ、817万票は実現しなかった。
この台湾の投票率をめぐる状況は、投票率の低さに悩む日本人に、ある種の羨望と感動を与えてくれる。そして、こう思うのだ。人口でいえば日本より6分の1ほどの小さな台湾で育っている民主主義は、なぜ、かくも健全なのか、と。
今回の選挙では、昨年秋ごろから蔡英文氏の大幅リードが世論調査ではっきりしており、私も事前の得票率を「蔡英文55〜60%、韓國瑜35〜40%」と予想していた。直前になって「接戦になっている」という情報も流れたが、私はそれらを否定した。
台湾の選挙は常に、投票直前に負けている方は「追い上げている」と主張し、勝っている方は「追い上げられている」と主張する。その方が、いずれにも都合がいいからだ。
表面的には情報の整合性がつくので「想像以上に接戦では」と信じてしまう人が現れる。だが、過去の例からみれば、台湾の選挙は1ヵ月前に結果がついているケースが多く、直前の選挙運動で大きく動くことはまずない。
だが、外してしまったものがある。それが投票率である。
4年に1度の台湾総統選では、2000年の82.7%を最高に、投票率は回を重ねるごとに低くなっており、2016年は66.3%にまで下がった。今回の投票率も60〜70%ぐらいだと私は予想しており、台湾側の専門家の見方とも一致していた。
ところが、結果は74.9%で過去2回の総統選を上回ったのである。ただ、予兆はあった。
◆世界的に大幅に増えた帰国投票
私は選挙の最終盤の年末年始、台湾で取材を行い、いったん大学の授業などのために日本に帰国した。そして投票日前日の10日に戻るつもりだったのだが、チケットが取れなかった。
日本航空、全日空、中華航空、エバー航空の4大キャリアだけでなく、ピーチアビエーションやタイガーエアなどのLCCまで満席だったのだ。やむなく投票日当日の11日の朝のフライトを押さえたが、それでも価格は通常の倍であった。
旅行代理店の知人に聞くと「選挙特需」だという。台湾では不在者投票ができないので、選挙のために投票する人は帰国し、台北からさらに台湾各地の戸籍所在地で投票しなくてはならない。人によっては移動だけで丸一日を費やす。それでも、投票のために台湾へ帰ろうというのだから驚くべき選挙への情熱である。今回は特にこの帰国投票が世界的に大幅に増えた、と言われている。
選挙の直前、日本のインターネットテレビAbema TVのバラエティー討論番組で、台湾選挙について解説する機会があった。台湾人の若者がゲストとして呼ばれて私と一緒に出演した。
彼らが「投票のために台湾に戻ります」と話すと、スタジオにいた日本人の若いタレントたちの間に、どよめきが広がった。
私は、タレントたちから質問された。「どうして台湾は若者が選挙に熱心なのですか」。私はこんな風に答えた。
「台湾では選挙と政治が社会を変革する最善の手段だと信じているからです。日本では、選挙があってもなくても世の中は何も変わらず、投票に行く意味がないと思っている人が多いから、投票率が低いのです」
喋っている途中から、どうして日本人なのに日本人の批判をここでしているのか不思議な気分になった。しかし、残念ながら、紛れもない事実なのである。
◆日本の投票率は悲惨
2017年に行われた日本の衆議院選挙の投票率は悲惨であった。
戦後下から二番目の53%。年代別でみると、さらにその問題性が浮かび上がる。
総務省の抽出調査によれば、20代は30%台、30代は40%台、40代は50%台、50代は60%台、60代が70%台なのだ。歳をとるほど、政治に熱心であり、若いほど政治に冷淡な感覚を持っているのは明らかだ。
2019年、平成最後の年に行われた参院選では、投票率は5割を切り、20代の投票率は30.96%と20%代まであと一歩のところまで落ち込んでいる。
一方、台湾では、今回の選挙で、若者たちの投票が蔡英文総統の得票を大きく押し上げる要因になったと伝えられている。若者の投票率は決して高齢者や中年代の投票率よりも低くなることはないはずである。
若者をいかに引きつけるか、どの政党でも苦労している。蔡英文総統は選挙前に相次いで人気ユーチューバーに会って、若者の観心を買おうと苦労している。それは若者が票田だからなのである。
台湾の総統選において、前回2016年では、投票率が66.3%と過去最低であったが、20代の投票率は74.5%だったという調査結果がシンクタンク「台湾智庫」の調べで明らかになっている。
今回、20代の投票率は、おそらく80%を超えるだろう。驚異的な数字であり、30%の日本との違いは絶望的に大きい。
台湾と日本の若者の文化の違いについては、いろいろ感じるところが多い。
昨年、台湾の誠品書店が日本に進出した。店名は「誠品生活日本橋」で、早速、いろいろな講座が開催された。「誠品講座」は、誠品書店のシンボルであり、そのブランドが広がった理由でもある。それが創業者の理念でもあった。
その伝統が日本に持ち込まれたのは素晴らしいことだ。私もいままで4回、誠品生活日本橋のイベントにゲストとして参加している。集客は悪くない。だが、回を重ねるたびに台湾との違いに気がついた。
それは若者の割合があまりに少ないのだ。私の感覚では、30歳以下の聴衆は2割以下ではないだろうか。60歳以上がおよそ半分は占めている。高齢化社会といっても、これは比率からするとおかしい。
だが、それは誠品日本橋だけの現象ではない。日本で社会問題や国際問題を議論するイベントにきてくれるのはだいたいこういう年齢層だ。
一方、私は台湾でも自分の書籍の販売のために講演や講座に呼ばれることが多いが、感覚的に若者率は7〜8割という印象である。
◆民主主義に対する「信仰」
選挙運動についても、台湾は日本とかなり違う。若い候補や女性候補も多い。選挙集会も若者が目立つ。
台湾では、若者たちが社会問題へ熱心に語り合っている姿も見かける。彼らは「選挙や政治が社会を変えることになる」と信じているのである。だから、選挙にも参加するのだ。台湾では、90年代の民主化の開始以来、自らの努力で積み上げた実績を支えに、民主主義に対する「信仰」が根付いている。
一方、日本人においてはその「信仰」は、ほぼ完全に形骸化している。選挙や政治が社会をよりよく変えてくれることを多くの若者が信じていない。
もちろん、そうさせたのは私たち大人だ。彼らを責めるわけにはいかない。では、どうすればいいのか。私にも答えはない。
ただ、こういう話はできる。政治や選挙によって若者の意見を汲み取りながら社会が変わっていく国がある。それが台湾だと。あるいは、そこにいまの香港も加えてもいいかもしれない。
台湾では民進党が勝利すると、同性婚が合法化され、原発政策が止まった。中国と台湾の関係も冷え込んだ。香港についても、もし民進党政府でなければ、これほど多くの香港人が台湾に「避難」することはなかっただろう。
2008年に国民党が勝利したときは、両岸関係が大きく改善した。中国人観光客が一気に増えた。民進党を選んでも、国民党を選んでも、社会が大きく変わる。そのことが、若者たちに希望や危機感を抱かせ、政治への関心を生み出す。
◆過去に一度もない異常事態
今回、台湾の投票結果には面白い現象が現れた。
蔡英文の得票率が57.1%だったのに対して、与党民進党の比例区政党票の得票率は34.0%にとどまったのだ。蔡英文の得票数は817万票で史上最高の得票による「圧勝」と言われたが、民進党の得票はそれよりも300万票以上少ない。
過去にも、総統の票と政党の票がずれることはあったが、ここまで違っているのは過去に一度もない異常事態であった。
その理由も、今回、投票率を押し上げたとみられる若者たちの投票行動にあったとみられる。「今日の香港は明日の台湾」というスローガンに表れるように、彼らは、香港のように台湾がならないために明確に「一国二制度」にノーを表明した蔡英文総統に一票を投じた。
しかし、台湾では、いま第三勢力と呼ばれる若者中心の政党が多数誕生している。「時代力量」「台湾基進党」「台湾民衆党」「緑党」などがそれにあたる。
それぞれ主張は少しずつ違うが、基本的には、これらの政党は若者が求める同性婚の実現や環境保護、脱原発などの議題に民進党以上に熱心で、民進党に対して改革が不十分だと突き上げている立場にある。
ただ、組織力が足りない彼らは総統候補はおらず、日本と同じように比例と小選挙区を組み合わせた立法委員選挙では、小選挙区の候補もあまり出していない。
だから今回、若者たちは政党票を第三勢力に、総統票と小選挙区票は蔡英文総統に、それぞれ分裂する形で投票したのだ。
正確な数字は今後の世論調査などを待たなければならないが、若者のこうした投票行動は現場の聞き取りや台湾メディアの報道などをみてみても、ほぼほぼ間違いないことであったと言えるだろう。
今回の選挙は若者たちが初めて主導権を取った「世代交代」の選挙だと言われた。その現象が、この分裂投票にはよく現れていた。
若者のこうした微妙な政権行動が分かっているのか、今回の大勝を受けても、与党民進党には比較的落ち着いた結果の受け止めが広がっている。若者たちが、4年後には民進党の総統候補に投じる保証はどこにもないからだ。
これが健全な民主主義の姿ではないかと思わせる。保守的になりがちな先の世代を、改革や進歩を求める若い世代が追いかけてプレッシャーをかけ、社会にエネルギーを与えていく。台湾の選挙の現場に身を置くと、日本が長く失った民主主義のあるべき姿が台湾にあるような思いを抱くのは私だけではないだろう。
今回、大勢の日本人の記者や一般人が台湾を選挙観察のために訪れた。選挙集会でも、日本人の知り合いをよく見かけた。台湾について、日本人は小龍包だけではなく、選挙も大好きなのである。それは、日本が失った民主主義と選挙への情熱が、台湾に存在するからで、刺激を受け、羨ましく思い、尊敬したくなる。
一方、日本ではどの政権でも就職は厳しいままで、女性の社会進出は進まず、年金はきっといつか破綻する。乱暴にいえば、そういう感覚だ。この状態で、若者に対して選挙に行けと大人がいうことは、ほとんど詐欺に等しい。
もちろん台湾人には台湾人の悩みがある。今回の選挙の結果についても、喜べる人と喜べない人がいるだろう。だが、それは台湾人2300万人の選択であり、彼らはその結果を勝った方も負けた方も受け入れている。
日本など海外からでも、高い飛行機代をアルバイトでお金を稼いででも台湾に帰って一票を投じる若者たちの政治参加を生み出す社会の力。選挙の結果に涙を流して歓声を上げる人々。その美しい光景こそが台湾にとって最大の武器であり、ソフトパワーと呼ばれるもので、私たち外国人が台湾の将来を応援する理由になる。
それは、台湾へ統一を呼びかける中国にとって、最も欠けているものでもあり、日本人が最も学ばなければならない点である。