第7部は「戦後台湾を一党支配した国民党政権を内部から改革し、国際社会との関係も好転させた総統時代の李登輝による「静かなる民主革命」を、対外関係を中心に掘り下げる」そうで、その初回は、台湾と中国の関係を「特殊な『国』と『国』の関係」と発言し、国際的に大きな波紋を起こしましたが、その背景について描いています。まさに「秘録」にふさわしい深掘りのネタです。
ここに、連載第1回にも登場した、李登輝政権の国策顧問で“李登輝の密使”と言われた曽永賢(そう・えいけん)氏が登場します。
第1回目の紹介のときに「1924年12月生まれの満94歳になる曽氏は、いまも矍鑠(かくしゃく)としているという。日本ではほとんど知られていないようだが、共産主義者だった経験を活かし、台湾において中国共産党研究の第一人者となった政治大学教授で、李登輝政権では総統府国策顧問、次の陳水扁政権でも総統府資政をつとめるなど重用された方」と紹介しましたが、12月3日、台北市内でお亡くなりになりました。謹んでお悔やみ申し上げます。
—————————————————————————————–第7部 静かなる民主革命(1) 中台は「特殊な国と国の関係」【産経新聞:2019年12月11日】https://special.sankei.com/a/international/article/20191211/0001.html
1999年7月9日のことだった。総統の李登輝(り・とうき)は、ドイツの公共放送、ドイチェ・ウェレの取材で台湾と中国の関係を聞かれ、「特殊な『国』と『国』の関係だ」と発言した。
中台関係をそれまでは「互いに隷属(れいぞく)しない2つの『政治実体』」と抽象的に表現していたが、「国家」と言い換えて踏み込んだ。のちに「二国論」と呼ばれた李の発言は、国際社会に大きな波紋を広げる。
台湾を自国の一部と主張する中国は、外務省報道官が「国家分裂に向かう危険な一歩で『一つの中国』を認める国際社会への重大な挑戦だ」と非難。軍事演習で李と台湾を威嚇した。
一方、李の発言について米国が当時、台湾に真意をただしていたことが、産経新聞が入手した台湾当局の機密電報で明らかになった。発言は米側に事前通告がなかったことを示している。
発言直後の7月10日午前、外交関係のない米台をつなぐ米側の窓口機関、米国在台協会(AIT)米本部の理事長、リチャード・ブッシュ(1947年生まれ)から台湾駐米代表処に電話があった。
李の発言の詳細を問いただされたが、情報の乏しかった台湾当局者は、「両岸(中台)は東西ドイツの統一前と似た状況で、一つの民族に二つの国家があり、政策変更はない」などと苦しい説明をした。その後もAIT側と重ねたやり取りの機密電報が何通もあるが、米側が納得したようすは読み取れない。
米国は当時、対中融和政策を進めていた民主党のクリントン政権で、李の発言が中国による台湾への武力行使を誘発する懸念がある、と受け止めた。
なぜ李は「二国論」を突然、公表したのか。李は産経新聞の取材に、「いつかは言わねばならないと機会をうかがっていた」と話し、表情を引き締めた。
「二国論」を公表したときの李は76歳。「総統から降りる前に、台湾の国家としての位置づけを国際法上もはっきりさせたかった」と話す。翌年の総統選には出馬せず後進に道を譲る意向を公言しており、任期は1年を切っていた。
◆一国二制度の出はなくじく
李登輝を補佐する国策顧問(当時)で水面下の対中交渉を行う密使でもあった曽永賢(そう・えいけん)(1924〜2019年)は、産経新聞の取材で、李の「二国論」に関する発言の背景を明かした。
「実は『二国論』は1999年の10月10日に李総統が公表する(段取りで)準備をひそかに進めていた」
「だが、中国が直前の国慶節(建国記念日=10月1日)に『一国二制度』を前面に打ち出し、台湾との統一交渉の開始を宣言して動き出すとの極秘情報を得た。これは先手を打たねばならないと考え、李総統に建議した」
99年は新中国の建国50周年にあたる。97年に返還された香港の「一国二制度」をモデルケースに次の照準を台湾に当てて、国家の統一工作を急加速する狙いが中国側にあった。だが、李も曽も「一国二制度」の欺瞞(ぎまん)をかぎ分け、出はなをくじこうと攻撃に出たのだ。
台湾紙、自由時報の政治記者、鄒景●(すう・けいぶん)の著書「李登輝執政告白実録」(印刻出版)によると、退任を控えた李が、中台関係を「はっきりさせよう」と98年に見いだした国際法学者が蔡英文(さい・えいぶん)(1956年生まれ)だった。現在、民進党政権を率いる総統その人だ。
蔡を中心とした研究チームは99年5月、「両岸(中台)は少なくとも『特殊な国と国の関係』」と結論づける報告書をまとめた。
国民党政権が47年に施行した中華民国憲法は、中国大陸を含む広大な地域での適用を定めていた。だが、李政権が91年以降、憲法改正で範囲を台湾に限定し、96年に総統直接選を行ったことを根拠に、蔡は「特殊な国と国」と位置付けた。
ドイツの放送局を選んで発言した理由を李は、「中国と台湾は東西ドイツのような分断国家ではなく、統一の必要などないと言いたかった」と明かした。
李には中国の主権は台湾に及ばず、台湾の主権も中国に及ばないとの判断がある。ただ、歴史的には台湾が称する「中華民国」がそもそも南京で12年1月に成立した経緯があり、「特殊な」との表現は残した。
一方、「二国論」で高まった中台間の激論や軍事緊張は、99年9月21日未明に台湾中部で発生し、1万人以上の死傷者が出た大震災で、かき消されていく。被害の大きさに中国も同年10月、「一国二制度」による統一工作は打ち出せない状況となり、矛を収めた。
返還から22年を経た香港では現在、中国共産党政権の指示で、反政府デモ参加者の人権を踏みにじる強権的な弾圧が続く。保障されていた「一国二制度」は瓦解(がかい)寸前の危機にある。
台湾で2020年1月に行われる総統選をめぐり、李は今年10月19日、蔡の再選を支持する考えを表明した。1998年以来、李と国家認識を共有してきたのは蔡だった。
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第7部は、戦後台湾を一党支配した国民党政権を内部から改革し、国際社会との関係も好転させた総統時代の李登輝による「静かなる民主革命」を、対外関係を中心に掘り下げる。(敬称略)