その第1回は「『野党を作らせよ』密命下った」。なんと民進党(民主進歩党)の1986年の創設は「蒋経国の指示」であり、その密命を受けたのが1984年から副総統に就いていた李登輝氏で「政党結成を『国民党は阻止しない』と水面下で伝えた」という。
第1部の1回で、曽永賢・国策顧問の自宅に中国共産党トップ層からの極秘伝言として「2、3週間後、弾道ミサイルを台湾に向け発射するが、慌てなくていい」と電話がかかってきた「秘話」や、第3部の1回で、台湾大学助教授時代に農政調査の一環で来日した折の1961年6月16日、李登輝氏は台湾独立運動の先駆者で台湾語研究者の王育徳氏(1924年1月30日〜1985年9月9日)と密会した「秘話」を取り上げていたが、第4部1回目の民進党創設にまつわる蒋経国の李氏への密命も、まさしく「秘話」と呼ぶにふさわしいエピソードで、読んでいて鳥肌が立つ思いだった。
本誌ではこれまで「李登輝秘録」の第1部(4月3日〜14日)、第2部(4月25日〜5月9日)、第3部(6月18日〜7月5日)の開始の回を紹介してきている。第4部開始にあたり、その1回目の全文を下記に紹介したい。
—————————————————————————————–「野党を作らせよ」密命下った 【産経新聞「李登輝秘録 第4部 蒋経国学校の卒業生(1)」:2019年7月14日】
戦後、台湾を独裁支配した蒋介石(しょう・かいせき)の長男である蒋経国(けいこく)は、総統に就任した1978年、李登輝(り・とうき)(96)を閣僚級ポストの台北市長に任命した。さらに台湾省主席、副総統に引き上げていく。蒋経国は、中国大陸出身の外省人が中枢を占める国民党政権が台湾で生き延びるためには、李のような台湾出身の本省人エリートを政界で育て上げ、政権の「台湾化」を図るしかないと考えた。第4部は、蒋経国の政治手法を吸収していく李が総統に就任する88年までの姿を追う。
元台湾総統の李登輝が今も大事にしているメモ帳がある。1984年から88年の副総統時代に、総統の蒋経国と個別に会話した156回の内容を書き記したものだ。青色のペンで丁寧に中国語で書かれていて、北西部の桃園市郊外にある別荘の机の引き出しに保管している。
メモ帳は懇意にしていた元ソニー会長の盛田昭夫(もりた・あきお)(1921〜99年)から手土産としてもらった。「SONY」のロゴマークが入っている。
李はメモ帳をペラペラめくりながら、「この日は重要だ」と言って、あるページを開いた。日付は台湾の春節(旧暦正月)を控えた86年2月7日。蒋経国が李に指示した特別な任務が記されていた。
「新年度(春節明け)に党外人士と意思疎通のパイプを作り、本人(李)が参与せよ」
党外人士とは、一党支配を続けていた国民党に所属せず政治活動を行う人物を指す。李はこの指示について「蒋経国は国民党以外の人物に野党を作らせ、政治圧力を利用して国民党を改革しようと考えていた」と明かす。
台湾では70年代から国民党の独裁体制を批判する雑誌の発行や、民主化を求めるデモなどが南部を中心に始まっていた。49年からの戒厳令が続いていた当時、野党の存在は非合法だが、蒋経国はその野党を使って国民党改革を推し進めようとしていた。
メモ帳によると、86年9月28日に初の野党として民主進歩党が結成されたことに対し、蒋経国は9月30日、「違法要件はまだ構成しておらず、法によって処理するのは容易ではない」と李に話し、事実上、容認した。李は否定も肯定もしないが、蒋経国の指示で党外人士に政党結成を「国民党は阻止しない」と李が水面下で伝えたと考えられる。
結成された党は現在、蔡英文(1956年生まれ)が総統として率いる政権党の民主進歩党だ。戦後台湾で政治弾圧を続けた父親の蒋介石から権力を継承した蒋経国だったが、この時代の種まきがあって初めて、民主化の花が開いた、と李は今も考えている。
◆「蒋経国は庶民目線で行動した」
「私は蒋経国学校の卒業生だ」。李登輝は、総統だった蒋経国との会話メモをまとめた著書「見証台湾−蒋経国総統と私」(允晨(いんしん)文化実業)の出版に際して開かれた2004年5月の記念講演で、自らをこう表現した。
蒋経国は1972年6月の行政院長(首相に相当)就任に合わせて李を農政担当の政務委員(閣僚)として入閣させた。総統になった後も重要ポストで起用し続け、病死するまでの16年近く、李を近くに置いていた。
ただ、中国大陸から逃れた台湾で国民党による独裁体制を敷いた蒋介石から権力を引き継いだ蒋経国と李の関係をいぶかる声があるのも事実だ。
国民党政権による政治弾圧で22年以上も投獄された郭振純(かく・しんじゅん)(1924〜2018年)は、「台湾人の李登輝が、なぜ独裁者の蒋経国を頼るのか、釈然としない」と顔を曇らせる。
郭は台湾の民主化を進めた李を評価する一方、「蒋介石や蒋経国らの独裁政権が台湾で起こした(2・28事件など)殺戮(さつりく)や弾圧は、台湾人であるなら絶対に許し難いはずだ」と語り、同じ台湾出身の李が蒋経国と手を組んだことに憤(いきどお)った。
こうした批判を李に問うと、李は自身が政務委員だったときに見た蒋経国の政治姿勢を示すエピソードを語り、理解を求めた。
「(台湾中部の)彰化(しょうか)で水害が起きたとき、被災地に着いた蒋経国は自ら泥水に足を踏み入れて、被害状況を確かめた」という。蒋経国に同行してその様子を見ていた李は、「決してパフォーマンスではなく、庶民の目線で行動したんだ」と指摘する。
さらに李は、「蒋介石は泥水に自ら入ったりしない」とも語り、蒋介石と比べて蒋経国は敵視すべき存在ではないとの考えをにじませた。李は蒋父子に対する批判めいた発言はめったにしない。
【用語解説】
蒋経国(しょう・けいこく)中国国民党の権力者だった蒋介石(かいせき)の長男で、台湾の行政院長(首相)や総統を歴任した政治家。1925年から旧ソ連のモスクワ中山大学などに留学し、政治的理由で工場に送られ労働者として働いた。労働者階級のロシア人女性と結婚。中国大陸で共産党との内戦に敗れた国民党が49年に台湾に逃れた後、父親の権力基盤を引き継いだ。台北で88年1月13日、77歳で病死した。