◆支持率の結果が選挙結果と必ずしもイコールではない台湾の選挙事情
11月末に台湾へ行ってきました。台湾では各界の友人や知人と意見交換をし、見聞を広めてきたと同時に、私自身の目で今の台湾についての分析をしてきました。今週のメルマガでは、そのことについて書きたいと思います。
2020年1月に予定している台湾の国政選挙は、「台湾危機」として捉える人がいます。それは十数年来、台湾が進んできた「民主主義」を失ってしまう危険があるからです。日本のシーレーン問題、沖縄・尖閣などの領土問題をも含む大きな危機です。
選挙の結果次第では台湾が「中国の一部」になる可能性があり、そうなった場合、日本にとっても安保の面で大問題となります。産経新聞社の『正論』という雑誌でも「台湾危機」として緊急増刊号が12月10日に発売される予定です。
しかし、真の「台湾危機」とは何なのか。「危機」というものは、顕在的なものもあれば潜在的なものもあります。長期的なものもあれば一時的、短期的なものもあります。前者については、例えば文化、文明的なもの、国家、民族的なものである「文化、風土」などの、長年にわたって累積された問題です。
2018年に台湾で行われた「九合一」地方選挙では、台湾の旧勢力である国民党が勝利しました。しかし今回の選挙では現在のところ、支持率調査によると国民党候補は劣勢と言われています。しかし、この支持率調査の仕方に問題があると国民党候補の韓国瑜氏が異論を唱えています。民進党は、選挙での優勢を示す根拠としてよく支持率調査の結果を持ち出してきますが、そもそもその調査は民進党支持者を対象にしたものではないかというのです。
韓国瑜氏は、支持率調査依頼の電話があっても拒否して下さいとフェイスブックで呼びかけています。これに対して民進党陣営は、もちろん支持率調査の正当性を主張しています。こうした問題が起こること自体、まさに選挙戦真っただ中といった感じです。
しかも、台湾の選挙では、支持率の結果が選挙結果と必ずしもイコールではないことが多々あります。そこには台湾の伝統的な風習と言っても過言ではない「地下賭盤」と言われる「選挙賭博」があります。これが結構、選挙結果を左右するほどの影響力を持っているのです。「民意」よりも「賭盤」が選挙結果を決めるとさえ言われています。一説によると、中国共産党が国民党候補を勝利させるために賭博を煽っているとの噂もありますが、真偽のほどは定かではありません。ただ、選挙とカネは切っても切れない関係にあるのは確かです。
日本では、賭博といえばパチンコ、競馬、競艇などがありますが、台湾ではそれらは禁止されています。台湾の合法的な賭け事の代表は「楽透(ロト)」でしょう。しかし、ロトだけでは退屈なのか、台湾では非合法の「地下賭盤」も大人気です。近いとろことでいえば、今年10月に行われた「2019アジア野球選手権」の結果についてなど、スポーツ関連も多く行われています。
選挙についての予想が難しいのは、この「地下賭盤」の存在が大きいからでしょう。
◆愚民、奴化教育の真相
戦後日本の教育とマスメディアは、ほとんどが「反日日本人」によって牛耳られてきました。ただ、日本がGHQ支配下だったのは戦後7年あまりのあいだだけでしたからこれだけで済みましたが、台湾は違いました。台湾は、司法、軍隊、警察、公務員など、国家の根幹をなす全ての要素を国民党に牛耳られてきました。蒋介石親子による独裁専制が長期間にわたって敷かれてきたのです。
この独裁専制時代を経験している戦前世代の台湾人は、日本がGHQに占領されたことにさえ羨ましさを抱いたものでした。GHQと国民党の文化レベルがあまりに違ったからです。
中国人は、古代から「陰」と「陽」の二元論的な発想で人を分けてきました。「人民」という言葉は「和製漢語」であり、古代は「人と民」を二分してきました。民の語源は、「眠」と「●」であり、逃亡を防ぐために目を針でつぶされたのが「民」でした。(●=亡民)
『論語』には「民は之に由らしむべし、之を知らしむべからず」(民は施政者が定めた法律に従わせるべきで、法律の道理を理解するものではない)、という言葉があるほどです。
中国政府にとって理想的な人物像は、「奴隷」か「愚民」です。そのため中国で行われている教育は、「愚民化」「奴隷化」教育です。民に「知恵」を与えると天下を取られてしまうため、「由らしめる」のみでよいとして、愚民化教育を行ってきました。
日本人と中国人の最大の違いはそこにあり、それも日本人が中国を知る限界のひとつになっています。中華人民共和国の「国歌」である「義勇軍行進曲」には、「奴隷になりたくない人民よ。立て、立て」と呼びかけています。しかし、実際は「奴隷化」教育ですでに奴隷となっている以上、なかなか立ち上がれないものです。
戦後70年以上が経過しても、日本に「教科書問題」があるように、教育を変えるのはとても難しいものです。台湾では、李登輝時代から「教育問題」に取り組んできました。
私は、大学関係の仕事で台湾の教科書問題について現地調査をしたことがあります。国民党政府は、国民党員のみを学校長にしてきました。それ以外の立場の人は排除したのです。李登輝時代になってもなかなか改善されませんでした。
現在、民進党政権下でも立法院(国会)の過半数が民進党になっても、なおも教育と司法は国民党に牛耳られ、軍事と外交も指一本触れさせません。
表面的には民進党政権でも、裏では国民党がなおも一大勢力として存在しているのです。これは約二千年前の漢の時代からある「陽儒陰法」「外儒内法」と同じく、表と裏の二重支配です。
◆台湾の真の問題とは
政策や経済を変えていくことは難しくないが、文化、風土、伝統、風習などを変えることはとても難しいものです。それは「民度」の問題であり、国民としての成熟度が問われる問題です。
去年、台湾・高雄市の民間団体による主催で、日本統治時代の1944年10月12日からアメリカ軍が台湾中部の都市に対して行った「岡山大空襲」についての70周年記念集会が行われました。岡山は私の故郷であり、私は空襲の生き残りとしてメインスピーカーとして呼ばれたのです。
主催者の調査によると、アメリカが台湾に投下した爆弾の40%があの空襲で落とされたそうです。なぜなら、岡山には当時、日本帝国海軍最大の南進基地である海軍航空部隊があったからでした。
私が台北で宿泊したホテルには、中国から集まった民主活動家各派の会議がありました。私はその参加者の一人に、中国は「国のかたち」からすれば「絶対に、そして永遠に、民主化は不可能だ」との私見を伝えました。より分かってもらうため、ローマ共和制からローマ帝国の例を引用して話ました。ローマ帝国は、民主共和制から領土が拡大するにつれて、民主、独裁、皇帝制へと発展していったという例を挙げて説明したのです。
20世紀に入って、西洋だけでなく日本までもが開国維新時代となりました。国民国家となり、「国のかたち」を変えていき、「列強」にもなりました。
しかし、「国のかたち」を変えるのは決して容易なことではありません。中国は、20世紀に入って、武昌の軍事クーデターである『辛亥革命』を境に、帝国から中華民国、中華人民共和国と3度にもわたって「国体」を変更しただけでなく、毛沢東と●小平、習近平のそれぞれの時代においても、人民共和国の政体は決して同じではありませんでした。(●=登の右がおおざと)
そもそも毛沢東は湖南の独立を主張していましたが、やがて「世界革命、人類解放」という社会主義革命の夢を見ました。かつて毛沢東が訪中した田中角栄首相に、中国の伝統である「四書五経」ではなく湖南の代表である「楚辞」を送ったのは、南人が「楚漢の争い」に敗退して2000年以上を経て、楚人の毛沢東がやっと天下人になったということを示すためでした。
あの当時、毛沢東が中国を飛び越えて世界革命と社会主義社会を夢みたことは、決して「夢のまた夢」ではなかったのです。それは、●小平時代の全体主義としてのファシズムや、現在の習近平が掲げる「中華復興」という、先祖帰りの儒教的全体主義とも違うものでした。(●=登の右がおおざと)
◆台湾の現在と未来について
私が見た台湾の現在は、「統一」を目指す人々も「独立」を目指す人々も共有の発想を持っています。それは、双方とも「一元化」を目指す傾向があるということです。台湾のような小さな島でも、言語や文化など様々な領域にわたって多様性があるにもかかわらず、それを認知し許容する考えが欠けています。そこが台湾の壁ではないでしょうか。共生や衆生などの多様性を守るという精神がない精神的貧困からくるものでしょう。
友人のなかには、民進党のような台湾人政党が最低20年以上続けば、台湾内の多様性がもっと認められるようになるのではないかという意見もありました。これからの台湾は世界の人々と協力し、世界の一員として社会的役割を果たし、国家や国益を超えて貢献することが求められてくるはずです。
台湾の先住民は、西から来たホモサピエンスで、約三万年前には台湾に住んでいました。「国民」や「民族」とは、近現代になってから新たに創造された言葉ですが、私は常に「国民」だけでなく「民族」も意識的に区分しています。
今の台湾は日本列島と同様に、大陸と陸続きの半島とは違う植生や民族性、性格を持っています。
人類の未来についてはスピノザの「絶対的未来」「偶然的未来」があるように、自分でつくりだす未来もあります。
AIとゲノム編集、ロボットなどの開発によって近未来には人工知能が人類を超えるという「シンギュラリティ」が起こり、世界はどんどん変わってくるでしょう。
「香港の今日は明日の台湾」とは私は考えていません。それはそもそも社会背景が違うからということもありますが、中国が22世紀まで生き残れるとは思えないからです。
人類は今でも様々な課題を抱えています。中国も台湾も「それぞれ」の問題を抱えているのであって、同じ問題を抱えているわけではありません。