世界の話』という本を昨年出されている。
会議で訪れた台湾で、ぜひ訪ねたいと、許世楷・元台北駐日経済文化代表処代表夫人の
盧千恵さんの案内で訪れたのは日月潭の畔にある「台湾紅茶の里」だったことなどを、本
日の「遠い響・近い声」で書いている。
本誌読者なら、それなら「台湾紅茶の父」と今でも台湾の人々から尊敬され、奇美実業
創業者の許文龍さんが胸像を制作した新井耕吉郎(あらい・こうきちろう)だろうとピン
と来るかもしれない。案の定、それは新井耕吉郎だった。
ここに記念碑とともに新井の胸像も建立されているのだが、それは拝見できなかったよ
うで、胸像のことには触れられていない。
また、台中といえば逆サイホンの灌漑用配水管、白冷圳を設置した磯田謙雄(いそ
だ・のりお)もいる。盧千恵さんはそこも案内されたようだ。
このような「日台の絆」を「貴重な隣人のありがたみと効用」として改めて気づかされ
たという。下記に紹介したい。
なお、盧千恵さんと一緒に千野さんを案内された黄木寿(こう・もくじゅ)さんは本会
会員でもある。
「尖閣」超える日台の絆 客員論説委員・千野境子
【産経新聞:2012年12月6日「遠い響・近い声」】
指導者の交代が相次いだ今年も終わる。どうやら衆院選の日本と大統領選の韓国がトリ
となった。
幕開けは1月14日の台湾総統選だった。国民党の現職、馬英九総統が再選されたため中国
化が一層進んだようにいわれるが、台湾化は決して後退していない。その危ういバランス
の中で腐心する姿が今日の台湾かもしれない。先ごろ国際会議に参加するため台中市を訪
れて、第一に感じたのもそのことだった。
世界女性記者・作家協会世界会議と少々大仰な名の会議には、台湾の人気キャスターを
はじめ27カ国の女性記者・作家が集い、馬政権も台中市も大変な歓迎ぶりだった。強まる
中国の風圧の下、国際空間のアピールはことのほか大事なのだろう。
そして会議の後、知人と行った音楽会にはもう一つの台湾があった。民主化前に禁止さ
れていた台湾唱歌が熱唱され、次世代に台湾の歌を伝えることや家庭で台湾語を使う重要
性が強調された。知人は馬政権がこうした台湾的催しには冷たく支援をしてくれない、と
嘆いたけれど。
中国化と台湾化と。いわば内なる矛盾と葛藤を抱える一方、昨今の中国や韓国の過剰な
反日言動とは一線を画しているのも台湾だ。そんな貴重な隣人のありがたみと効用を、日
本がともすれば忘れがちなことにも今回あらためて気づかされた。
尖閣諸島が好例だ。中国と同様に領有権を主張するが、領土的野心というよりは漁業権
つまり漁民の生活権である。だから中国に迎合し、尖閣諸島海域に船を出した経済人に
人々は冷ややかだったという。尖閣問題で日本は台湾との共闘にもっと現実的になっても
よいはずだ。
台中でぜひとも訪れたい場所があった。日月潭の美しい湖を望む「台湾紅茶の里」だ。
正式には行政院農業委員会茶業改良場魚池分場という。元台北駐日経済文化代表処代表夫
人の盧千恵さんが教えてくれた。
日本統治下の1926年、台湾総督府に赴任した農業技師、新井耕吉郎が設立した紅茶試験
支所だ。紅茶生産に精魂を傾けた新井が植えたアッサムの原木が今も生い茂る。戦後、忘
れられかけていた新井の存在は5年前、日台双方の努力で蘇(よみがえ)る。功績を称(た
た)えて記念碑が立ち、いまでは「台湾紅茶の祖」と慕われる。
分場職員の梁煌義さんは「分場に勤めて文化や歴史に触れ、茶の奥深さを知りました。
新井は恩人です」と言った。行政院の説明書に新井の名はなく、日本は影もない。しかし
現場は新井と日本を忘れていない。紅茶工房を持つ梁さんの手で新井が開いた台湾紅茶が
再び本場英国に輸出される日も来るかもしれない。
台中にはこのほか、やはり総督府の技師だった磯田謙雄による灌漑(かんがい)用配水
管も残る。灌漑用水はかつて台湾の製糖業を支え、現在も付近の住民たちの生活に欠かせ
ない。磯田は奇(く)しくも台南に烏山頭ダムを造り農業に貢献した八田與一と同じ金沢
の出身で、台湾と金沢の交流推進に2人はまるで今も現役のようだ。
盧さんとともに紅茶の里へ案内してくれた建築家の黄木寿さんは、台湾との絆を物語る
日本人の足跡はまだまだたくさんあると力説した。
「南部で地下ダムを作った鳥居信平、台湾洋画の父、石川欽一郎、植物学者、鹿野忠
雄、蓬莱米を作った磯永吉」と、私には初耳の日本人の名前を次々と挙げながら言った。
「何度も来ないとダメですよ」
(客員論説委員)