神道では5年祭の節目に当たります。
黄昭堂先生は総統府国策顧問や昭和大学教授のかたわら、長らく台湾独立建国聯盟の主席をつと
められ、本会が2004年から始めた日本李登輝学校台湾研修団でも第1回目から講師をつとめていた
だきました。
改めて、これまでのご指導に心から感謝申し上げるとともに謹んで哀悼の意を表します。
11月15日に東京・港区のサントリーホールで「台湾情(たいわんじょう)日本心(にほんここ
ろ)」という、日台の音楽家が台湾や日本の歌を歌い演奏する集いが開かれ、約30曲が披露されま
した。
この中で、盧千恵さん作詞の「第一粒星」「桂花開 桂花芳」「くろつらへらさぎ」の3曲も披
露され、台湾からご主人の許世楷・元台北駐日経済文化代表処代表(大使に相当)とともに臨席さ
れていた盧千恵さんも、とても嬉しそうな様子でした。
会場には、この許世楷・盧千恵ご夫妻をはじめ、森喜朗・元首相や玉沢徳一郎・元衆議院議員ご
夫妻、中山恭子・参院議員、今井正・交流協会理事長、陳調和・台北駐日経済文化代表処副代表な
ども見えていて、本当に盛会で心温まる音楽会でした。
盧千恵さん作詞の「くろつらへらさぎ」が歌われるのを聴いていたとき、歌詞の中の「チッコ
ー」という言葉に気づいたのは、隣に座られていた王明理さん(台湾独立建国聯盟日本本部委員
長、本会理事)でした。「チッコーって、あの台南のチッコーかしら」と言うのです。
プログラムの歌詞は漢字ではなくカタカナで「チッコー」と記していました。そこで、盧千恵さ
んの新刊『台湾新童謡』を受付で求めていたので、確認してみますと、盧千恵さんの解説に「台南
七股(チッコー)」とありました。
「くろつらへらさぎ」は漢字で書けば黒面箆鷺。コウノトリ目トキ科に分類される渡り鳥だそう
で、盧千恵さんは「くろーい かおで ましろい からだ」と書き起こし、冬、韓国から飛来して
台南の七股(チッコー)で越冬する「くろつらへらさぎ」のことを詞にしたのでした。
前置きが長くなりました。実は、黄昭堂先生が生まれ育ったのがこの台南「七股(チッコー)」
という海辺に近い村だったのです。現在の台南市七股区です。
盧千恵さんは歌詞の中で「七股(チッコー)」について「冬でも ポカポカ あたたかな チッ
コーに」(1番)、「やさしい 人々 あたたかい チッコー」(3番)と書かれています。
チッコーは黄昭堂先生が生まれ育った「七股」だとわかり、この歌詞を目にして、盧千恵さんは
黄昭堂先生を思い描いて歌詞を書いたのかもしれないなと思うようになりました。
黄昭堂先生は、まさに盧千恵さんが書かれたような「あたたかい」「やさしい」、懐の深い方で
した。ですから、蔡焜燦先生でさえ年下の黄昭堂先生を「ボス」と呼ばれていたように、多くの方
に慕われていました。
許世楷大使と盧千恵さんは、日本で王育徳先生をはじめ黄昭堂先生や金美齢先生とともに台湾の
独立建国運動に携わってきた、いわば「同志」です。盧千恵さんが亡くなられた黄昭堂先生を偲ん
で歌詞を書かれたとしても不思議ではありません。
きょうの黄昭堂先生のご命日を目前に、日本と台湾の人々が集うサントリーホールで「くろつら
へらさぎ」が披露され、何よりのご供養になったかもしれないと盧千恵さんは喜ばれているかもし
れません。