台湾の声編集部 加藤秀彦
(写真付き記事はこちら)
https://kato-hidehiko.asia/pineapple-ishigaki-taiwan/
2月26日、中国が3月1日から台湾産パイナップルの輸入を停止すると発表しました。実施3日前とは実に急な決定ですね。
ところでパイナップルが結ぶ日本と台湾の縁をがあることをご存じでしょうか? 舞台は戦前、沖縄県石垣島になります。
★沖縄のパイナップル
沖縄にパイナップルが持ち込まれた時期は諸説あります。
八重山諸島の石垣島には、1866年に座礁したオランダ船からパイナップルの苗が川平に漂着・自生しました。それを発見した新築城登之という人が自宅に植えました。実った果実を食べたら美味しかったので、周辺住民に苗を分けて川平村に広がりました。このときはまだ、自分たちで食べる分しか作っていなかったのです。
また沖縄本島では、1888年に朝武士干城という人が小笠原から取り入れて試験的に栽培しました。
農作物として商業ベースで栽培をしようとしたのは昭和に入ってからです。しかし売り物になるパイナップルを育てるには一筋縄ではいきませんでした。
1927年(昭和2年)、台湾で流通しているスムースカイエン種を沖縄本島の本部町伊豆味地区に植えました。しかし300本植えて根付いたのは、わずか72本でとても農業として成立しませんでした。
1930年には品種をサラワク種に変更して試験しても根付きません。僅かに根付いた苗も果実が小さくて売り物になりません。
同じ頃、沖縄本島だけでなく石垣島でもパイナップル栽培の可能性を探っていました。しかしやはり苗が根付かないのと、猪の被害でまともに生育しなかったのです。
日本では南方フルーツであるパイナップルの知見が浅いので、上手に栽培できなかったのです。
しかし南方フルーツに詳しい人々が現れます。1895年に下関条約を経て新たに「日本人」となった台湾の人々です。
★日本統治時代の台湾パイナップル
台湾ではパイナップルを立派な農産品として栽培・流通させていました。
果物としてそのまま流通する物もありましたが、缶詰に加工されるものも多かったのです。保存性が良い缶詰は輸出に向いているだけでなく、軍の食料としても重宝されたのです。
台湾初のパイナップル缶詰製造工場は1902年5
月に高雄の鳳山にできました。岡村庄太郎によって創設された岡村鳳梨缶詰工場です。それから台湾ではパイナップル缶詰製造会社が大小乱立しました。
昭和初期の頃は缶詰製造会社が一方的にパイン買い取り価格を決めていたので、農家の収入はとても不安定でした。収穫シーズンの最初と最後は収穫量が少ないので高値で売れますが、ピークを迎える頃には二束三文に叩かれていました。現在でこそ18ヶ月周期で通年収穫できるパイナップルですが、当時はそんな技術はなかったのです。
では缶詰製造会社が大儲けしていたかというと、そういうわけでもありません。世界恐慌のあおりを受けたときは缶詰製品の投げ売りをせざるを得なくなり、缶詰製造会社は原価割れで出荷していました。
そんな不安定な状況を打破するために台湾総督府は動きました。高雄州知事が組合長を務める台湾鳳梨同業組合がパイナップルを生産管理するようにしました。
さらに台湾総督府殖産局は台湾鳳梨同業組合に協力を求めました。パイナップル缶詰製造会社を企業統合させ、生産性や効率の向上を進めようとしたのです。統合する企業は大小数十社にも及びました。こうして1935年6月に出来たのが台湾合同鳳梨株式会社(初代社長:赤司初太郎)です。台湾合同鳳梨は戦後、何度か名前を変え台鳳股份有限公司として現在も残っています。
小規模の缶詰製造会社の経営者は台湾合同鳳梨に工場を売却しました。売却益で別の商売を始める経営者もいれば、台湾以外の土地でパイナップル缶詰工場を開こうと考える経営者もいました。実際に海南島や広東でパイナップル缶詰製造会社を起こす計画があったそうです。
★石垣島の台湾企業・大同拓殖
台湾合同鳳梨が設立される2年前の1933年、台湾の員林出身の曹清権が石垣島の嵩田地区に移住していました。
ある日、曹清権はパイナップル試植の跡を見つけました。前述した失敗した石垣島でのパイナップル栽培の跡です。曹清権は試しに60本のパイナップルの苗を植えたところ、発育良好で美味しいパイナップルが収穫できたのです。曹清権は台湾にいた頃にパイナップルを栽培しており、豊富なノウハウを持っていたのです。
曹清権は八重山でのパイナップル栽培が有望と考えました。ちょうど台湾では台湾合同鳳梨に会社を売却し、資本とノウハウを持つ経営者が遊んでいたのです。彼らを石垣島に呼び寄せ、パイナップル缶詰製造工場を設立させるよう働きかけました。
この話に乗った謝元徳、林発、誉益候という3人の経営者が1935年7月に石垣島に渡りました。そして10月に大同拓殖株式会社を設立し、謝元徳が初代社長になりました。
★地元民との軋轢
大同拓殖は石垣島に直営農場を作りパイナップルを栽培し、缶詰に加工して出荷する計画を立てました。
直営農場で安定したパイナップル栽培をするため、石垣島嵩田地区へ400人以上の台湾農民を移住させました。嵩田地区は山岳地帯にあり、人口は100人に満たない程度だった場所に急速に台湾住民が増えたのです。
またパイナップル畑を開墾するために、台湾から水牛を持ち込みました。
それまで石垣島で一般的だった馬や牛よりも、水牛の方が力強く効率的に開墾できたのです。また水牛は一日の作業が終わると、野原に一晩放置するだけで、翌日に疲れを持ち越さなかったのです。馬や牛だと作業終了後に牧場へ連れ帰りエサや手入れをする手間がかかりますが、水牛はそんな事をしなくても良かったのです。
現在、八重山観光の定番スポットとして竹富島や由布島の水牛車があります。この水牛は大同拓殖が台湾から連れてきたものが繁殖・定着したものです。
そんな大同拓殖の事業運営を見て、元々石垣島に住んでいた人たちはどう思ったか? 実は良く思っていなかったのです。
パイナップル栽培のため、島外から大量の人が移住したことに対する不安がありました。また水牛のパワフルな開墾速度を目の当たりにして「このままでは農家の次男三男が開墾する土地がなくなる」と考えたのです。
そんな地元感情を背景に、台湾から水牛とパイナップル苗の移入を禁止する運動が起こります。表向きは防疫が理由ですが「将来の八重山が台湾の八重山化すること」を恐れての活動とも言われました。活動は成功し、1938年から水牛とパイナップル苗を台湾から石垣島へ持ち込めなくなりました。
またあるとき、大同拓殖の農家が焼き畑に使う薪を地元民が無断で持ち出し乱闘騒ぎになる事もありました。
新たに石垣島の住民となった大同拓殖の台湾出身者と地元民との軋轢はしばらく続きました。
★台湾から食料調達
1937年には盧溝橋事件が起こり、大同拓殖が石垣島で操業したのは日本中が軍事色が強まった時期です。
1938年に林発が2代目社長となりました。地元民から向けられる敵意に林発は「台湾人といえども陛下の赤子であり、今は国民が一体となって外敵に当たるべきときである」と説いて融和を図りました。
年が進むにつれて戦火は石垣島に近づき、1944年頃には食糧難になっていました。林発は軍部と協力して台湾で食料を調達し石垣島へ運びました。船5隻分の食料を台湾で調達しても、敵の攻撃で1隻しか石垣島へ届かないこともありました。台湾と石垣島を往復するだけでも危険な時期に、命がけで石垣島へ食料を届けたのです。
こうした林発たちの行動が徐々に地元民の感情を変えていったのです。
★戦後の石垣島パイナップル
戦後、沖縄はアメリカの占領下に、台湾は中華民国の占領下に置かれました。
1950年頃から石垣島でパイナップル産業復興の気運が高まりました。
林発のような台湾人経営者も石垣島でパイナップル缶詰製造工場を再興させようとしていました。
台湾では1947年に二・二八事件が起こっており、中華民国統治下の台湾に見切りをつけた台湾人の中には、台湾脱出の手段として石垣島で就労を目指す者もいました。
戦前に石垣島で働いていた台湾人の中には、親族や友人のネットワークを使って戻ってくる人もいました。
また1962年には台湾から農業技術の導入を目的として技術者の招聘も進みました。
再び石垣島に台湾人が増えてきましたが、もう戦前のような地元民との軋轢はありませんでした。日本人と台湾人が協力してパイナップル産業を盛り上げていったのです。
沖縄が本土復帰する前、石垣島を中心とした八重山から日本本土へ「輸出」する品の内、パイナップル缶詰が6割を超えていました。台湾やフィリピンからもパイナップル缶詰は対日輸出していましたが、それらには25%ほどの関税がかけられていました。米国統治下とはいえ、沖縄は日本国内なので関税無しで八重山から日本にパイナップル缶詰を送れたのです。
石垣と台湾の人々の間にあった軋轢を乗り越えて、パイナップル産業は八重山の基幹産業になったのです。
★臺灣農業者入植顕頌碑
2012年
8月、石垣島で大同拓殖が農場を開いた嵩田地区に「臺灣農業者入植顕頌碑」が建立されました。
碑文には「パイナップル産業と水牛導入の功績を称える」として大同拓殖の功績を紹介し、「私たち県民・市民有志は、パイン産業と水牛を導入した台湾農業者の功績を称え、ここに感謝を込めて顕頌碑を建立します」と記されています。
執筆時、中国が禁輸した台湾産パイナップルを、代わりに買おうとする日本人が沢山います。買い求めた台湾産パイナップルを味わいながら、こんなパイナップルが繋ぐ日本と台湾の絆を思い起こしてみるのも良いですね。
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