【遥かなり台湾】「蔡焜燦さんを偲ぶ」

【遥かなり台湾】「蔡焜燦さんを偲ぶ」

             喜早天海
                            

昨日の朝FBを見て蔡焜燦さんが逝去されたことを知り、驚くより「やっぱり」という思いが
しました。というのは、ここ2、3年の間蔡さんの様子を見て本当に元気がなくなり、体も痩せて
きたなあと感じていたからです。台湾歌壇の例会にたまに参加した時も蔡さんに会えるかなと思って
いると、「途中で体調が優れないからと言って帰りましたよ。」と言われたこともありました。
蔡さんは親日家じゃなく「愛日家」として公言するのをはばからなかった人ですが、日台の大きな
架け橋として長年活躍され、2014(平成26)年春の叙勲で旭日双光章を受賞し、そして会長を務める
台湾歌壇は今年で創立50年を迎え、今年度の外務大臣表彰を受けたのです。
日本人で台湾関係者なら蔡さんにお世話になったり、ごちそうしてもらったしたことのある人は数多く
いることでしょう。ぼくもその中の一人です。

蔡さんと初めてお会いしたのは、台湾に住み始めて2年目の1990年6月に行われた湾生の集いである
「台中会」の東京総会に参加した時のことです。名刺交換した折「台中にも日本語グループの台中会
(現在の台日会)があり、そこの世話役をしています。」と自己紹介したら、「頑張って下さい。」と
言われたことを覚えています。その時は「随分日本語の達者な台湾人がいるなあ。」と思っていましたが、
後日「老台北」として出てくる有名な方だとは知りませんでした。

 1998年に第一作目の『台湾見聞録』を出した時も快く100冊支援していただき、また『遥かなり台湾』の
冊子を持って歌会に参加した時はその場で「100冊買うから東京に送ってほしい」と言われビックリした
ことがあります。そして「喜早さんから有り金のポケットマネー全部取られてしまったよ。」と笑いながら
周りの人に話しておられました。

 本に関して言えば、10年前の2007年に蔡さんが出版された『総合教育読本』が強く印象に残っています。
この本に関して「ファルモサ便り」という台湾国際放送の番組に主役の蔡さんとともに出させて頂き、
その後蔡さんの母校である清水国小訪問に同行させてもらいました。同行した産経新聞の長谷川支局長からは
後日一枚の記念写真が送られてきてこの写真を見るたびに往時の蔡さんを思い出すのです。そして同年中秋節の
時に『総合教育読本を巡って』の冊子を発刊させ、2007年は特に蔡さんの本を通して忘れられない年になったのでした。

2000年の『台湾人と日本精神』の本は多くの人にいい本だからといって勧め、また自分でも『公学校修身書』を
出すときもこの本から引用させてもらいました。蔡さんは「台湾人が最も尊ぶ日本統治時代の遺産は。ダムや
鉄道などの物質的なものではなく、公を顧みる道徳教育など精神的遺産なのである、」(p244)と著者の中で
語っていますが、現代の日本人の精神的荒廃を嘆いていました。それゆえに「日本人よ、もっとしっかりしなさい」と
台湾に帰化した元日本人は、激励せずにはいられなかったのでしょう。

 2011年の東日本大震災のときに蔡さんが詠まれた歌に
    「国難の地震と津波に襲わる祖国護れと若人励ます」があります。
蔡さんにとっては日本も台湾も共に祖国あり、日本語世代の人たちにとって日本は永遠に心の祖国なのです。

蔡さんは司馬遼太郎の『台湾紀行』に老台北の名前で登場しますが、あの世で二人は再会しているでしょうか。
再会するときは「再び挙手の敬礼・答礼をもって挨拶を交わすに違いない、私はあの世に行く時、司馬先生から頂いた
靴を履いていくつもりである。」(台湾人と日本人35頁)
どうか蔡さん、ゆっくりお休みください。そして蔡さん、もし靴をはくのを忘れたのを思い出したら、
また下界に戻って来て下さい。

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