【遥かなり台湾】「千の風になって」

【遥かなり台湾】「千の風になって」

メルマガ「遥かなり台湾」より
    
                            喜早天海

今年はもうカレンダーの残りが12月一枚だけとなりました。良いこともあれば悪いこともあるのが
世の常ですが、8月以降のわずか4か月足らずの間に親しかった人の悲しい出来事が続けて起きたのです。

(その1)
川口の姉が亡くなって90日も経たないうちに今度は姉の旦那(義兄)が先月6日に急死しました。玄関先で
倒れているのを隣人が発見した時はもう手遅れだったようです。姉には長男の晃と長女の紀子(いずれも
仮名)の子供二人がいますが、この知らせを聞いた娘の紀子はショックでうつ病になり他人との応対が出
来ない状態になったのです。それというのも、今年になって自分の旦那の両親が相次いで逝去。そして今回、
母(ぼくの姉)の葬儀を済ませたと思ったら今度は父の悲報。(晃の話によると)一年もたたないうちに
身内の不幸が次から次へと襲いかかり、精神的に大分まいってしまったようです。それで父の葬儀は家族
だけで行い、誰も呼ばなかったとのこと。そんなわけで、せっかく一時帰国したのに焼香することも叶わず
台湾に戻って来てしまいました。しばらく様子を見て紀子が回復したのを待って、生前中は何度も台湾に
来てくれてとりわけ九二一台湾大地震の時など何かとお世話になった義兄に対してあらためて感謝と哀悼の
意を表したいと思っています。

(その2)
義兄の悲報を聞いてすぐ日本に一時帰国したのが8日、台湾に戻って来た13日の夜9時ごろ、今度は台日会
前会長だった林啓三さんが「9日に息を引き取られた。享年93歳でした。」という悲報をもらいました。
林さんは今年に入ってから体調がすぐれなく、息子のいる中?に住んでいたのです。その前は、いつも例会が
あると一番乗りで会場にやって来て血色もよくとても90過ぎのオジさんには見えませんでした。
林さんは日本教育を受け今の日本人以上に日本人的で、戦前の日本人を彷彿させます。日本語の読み、書き、
話す以外にも短歌、俳句、川柳まで嗜む人で、これまでに五冊の手書きの文集を作っていました。これをパソ
コンに文字入力し一冊にまとめたいと会に提案し了承されました。
「お茶の生き字引博士」として新聞に載ったこともあります。林さんの博識で、温厚な性格は会員から慕われ
ていて、会では貴重な人を失ってしまいました。でもこの追憶文集を完成させた暁にはいつもでも林さんがみ
んなの中にいつまでも生き続けるのだと思っています。

(その3)
オープンしたばかりの先月22日台中文学館に見学に行った時に、かってお世話になったカメラマンの余如季さんが
今年8月に亡くなっていたのを知ったのです。余さんは台中の歴史をカメラに収めており、台中ではとても著名人
なんです。余さんと知り合ったきっかけは、台湾に住み始めたばかりの頃日本語の学生さんの紹介で、もう25年に
もなります。当時は台湾テレビのカメラマンであっちこっちと取材していたのですが、そのうちに「人間の争いご
とだけにシャッターを押すのは嫌になった。これからは自然を被写体にして撮るよ。」と言って独立し、一カメラ
マンとして仕事を始めたのです。台中公園の100周年の折、空から撮影した写真がとても気に入ったので、2003年に
作った『台中生活情報ガイドブック』の表紙に使わさせてもらいました。また99年の台湾大地震の発生する前年に
鹿児島の出水市に飛来するツルの撮影にお供させてもらったのも今となってはいい思い出となりました。過日は文
学館で余さんの特別展示展が行われていて50年前の台中の様子を知ることができ、多くの台中に関わりのある人に
も紹介したく先日ネットで公開しました。余さんに感謝です。余さん、しばらくお目にかかってなかったけど、
今となっては残してくれた写真を見て往時を偲ぶしかないですね。どうか安らかにお休み下さい。そしては空の上
から台湾を見守っていて下さい。

(その4)
今月9日に静宜大学の濱屋方子先生が息を引き取られたことを帰宅後パソコンを開いてネットで知りました。ネット
には、その後先生の関係者の方の哀悼のメッセージが相次いで書き込まれ、先生がいかに台湾の人たちなかんずく
教え子さんたちから「やさしかった先生、笑顔の絶えなかった先生」等とよく慕われていたかがわかります。
「台湾日記」というブログを見て先生のことを知り、またそのブログで改めて台湾のことを教えられたことも多々
ありました。それで月例会にも先生に来ていただき、スピーチしてもらいました。そのことは先生自身のブログに
書き込みがあり台日会のことをくわしく紹介してもらいました。それを冊子『遥かなり台湾6』に転載させていた
だきました。
先生は日本語教育を通して日台間の架け橋の役割を果たしてくれました。先生自身の毎日のように更新している
ブログから判断すれば、最後の最後まで教師冥利に尽きた台湾での生活だったようです。
先生のご冥福を心よりお祈りいたします、

今年の8月以降続いた悲報で秋川雅史の「千の風になって」の歌をCDで最近よく聞いています。
「私のお墓の前で 泣かないでください そこに私はいません 眠ってなんかいません 千の風 に 千の風になって
 あの大きな空を 吹きわたっています。」


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