メルマガ「遥かなり台湾」より転載
今月は2日から5日まで4連休みでした。この期間、日本では花見を楽しんだ方も多いかと思います。
ぼくは、この連休を利用して台南へ行ってきました。それで、今回の記事は台南で訪れた県知事官邸を
紹介したいと思います。
県知事官邸は台南駅から徒歩10分足らずの北門路と衛民街の交差点のところにある地下道が目印。地下
道の入口には知事官邸の写真があり、ここの地下道をくぐると目指す官邸が正面にありました。
台南には日本時代に建築された建物が数多く残されています。ここの知事官邸もその一つで、三度に
わたって改築され、現在は台南市指定の古跡になっています。1900年(明治33年)に最初に建設された
時は地元の人たちからは、屋上の形が時計に似ていることから時鐘楼(時計台)」と呼ばれていたそ
うです。官邸は二階建てで、南洋風な造りになっています。内部は現在喫茶室、お土産店、資料室な
どになっており、戦前の調度品や往時をしのばせる節句人形などが飾られていました。また資料室を
覗いてみると、この官邸は時折皇族が来られたときの「御泊所」でもあったことを裏付ける写真や資
料が公開されていました。
最初この官邸の名前に台南県と冠されているので、どうして州でなく県なのか不思議に思っていまし
た。でもここの部屋で知事官邸が出来た1900年前後当時の行政区分は台湾を北部、中部、南部に分け
、それぞれ、台北県、台中県、そして台南県とする三県一庁(膨湖島庁)だったのです。州となっ
たのは1920年(大正9)以降のことでした。知事官邸は普段は知事の官邸として、また皇族方が台湾に
来られた時の居住用に設計された行館でした。台北は1901年にできた台北総督府官邸(現:台北賓館)、
台中は1899年に建てられた台中県知事官邸(戦後解体)そしてここ台南県知事官邸と台湾に三か所設
けたわけです。写真で見る限り台中と台南の知事官邸は窓の作りが同じで雰囲気も似たような感じで
す。でも一世紀が過ぎても色あせしない風格のある建物ですね。1923年当時、皇太子だった昭和天皇
が台湾を訪問され、台北、台中、台南と宿泊された際にきっと知事官邸の二階のバルコニーから盛大
な歓迎に対して手を振られたことでしょう。
それから特筆すべきはことはここの官邸の1900年棟札は現在台湾で発見された一番古い棟札だとい
うことです。「棟札」とは「上棟式」時に建屋の屋根裏の棟木に置かれる木製の板のことで、上には
建築物の名称、上棟時間、願主、家主、設計者などの関連情報が記されており、まるで建築の身分証
明のようなものです。
ところで、ここに入る前に目についたのはのは官邸の建物以外に入口の所にある大きな樹木が紫色の
花を咲かせていたことです。とてもこの樹の名前が気になったのでネットで調べたところ「苦棟樹」
とあり、日本のセンダン(栴檀)だとわかったのです。その際に中国語の楝(オウチ)とは栴檀の
別名とありました。ぼくの知っている湾生の集いに栴檀会という台中高女の同窓会があります。
戦前は校門前に栴檀の樹がたくさん植えられてあったとか。当時使っていたという生徒手帳を見せて
もらったら校歌があり、「咲くや苦棟紫の〜」で始まる校歌を見て驚きました。栴檀のことをやっぱり
苦棟と言っていたんですね。同窓会の名を栴檀会としたのも頷けますよね。ついでに「栴檀は双葉より
芳(かんば)し」のことわざでよく知られていますが、これはセンダンではなくビャクダン(白檀)を
指すことが判明しました。。いままでセンダンの木を見る機会もなくあきらめかけていましたが、
ここでセンダンの木に会えてとても得をしたような気がしました。
◆ブログ紹介
古都台南に残る日本時代を感じる建物、史跡ほぼ完全ガイド
http://blog.qooton.co.jp/entry/2015/06/04/113200
台南に限らず、台湾各地で日本時代に作られた建物などを保存したり、復元したりして大事にして
残しておいてくれるおかげで日本時代の歴史遺産に触れることができるのですから、台湾に感謝
せずにおられません。