【産経正論】映画「KANO」が描く日台の絆

【産経正論】映画「KANO」が描く日台の絆 

2015.2.13 産経新聞より

慶応大学名誉教授・池井優

 台湾全島が熱狂した。昭和6年、全国中等学校優勝野球大会に台湾代表として出場した嘉義農林が、内地の代表を次々と下し、決勝戦に進出したのだ。現在、夏のビッグイベントとなった甲子園球場を舞台に繰り広げられる高校野球の大会に、当時日本の統治下にあった台湾から代表としてはるばる海を渡ってやってきた台湾南部の嘉義のチームの健闘は、台湾のみならず、全国の人々に感動を与えた。日本人、台湾人、台湾先住民からなる混成チームの善戦、健闘が大きな要因であった。

 《忘れられた嘉義農林の活躍》

 日清戦争の結果、台湾を領有した日本は、植民地統治の一つとして野球を利用した。野球を普及させると同時に、満州、朝鮮とともに外地の中学の代表を日本で行われる全国大会に参加させ、内地との一体化を図ったのである。

 だが、やってくるチームの選手はほとんどが日本人であった。現地で生活する日本人子弟が通学する学校が予選を勝ち抜いて出てくるのが通例だったのだ。

 台湾代表も大会参加以来、台北一中など日本人選手で構成される台北のチームが8年連続して甲子園にやってきた。しかし、近藤兵太郎が南部の嘉義にある農林学校の監督を引き受け、民族にこだわらず選手を集め、猛練習で鍛えた結果が台湾の地方大会を勝ち抜き、代表として海を渡って甲子園への道へとつながったのである。

 この嘉義農林の活躍は戦後の台湾ではほとんど忘れられた出来事であった。50年にわたって統治した日本に代わって台湾を統治することになった国民党政権は、日本時代の遺産を払拭するため、野球もその対象とし、ましてや3民族結束がもたらした甲子園の成果など消し去りたかったのだ。

 だが、リトルリーグの世界選手権優勝など、野球が台湾の一体化に効果があると判断した政権の方針変更で、ついにはプロ野球まで創設されるに至った。こうした状況の変化の中、先住民が日本に対し反乱をおこした霧社事件を扱った映画「セデック・バレ」を制作した魏徳聖(ウェイダーション)監督が、この映画のリサーチ中に資料を見つけ、「これは!」と思い、存命中の出場選手はじめ関係者にインタビューするなどして脚本を仕上げた。

 《徹底した人選と演技指導》

 野球のみならず、ダムを建設し嘉義と台南の平野部を一大穀倉地帯に変え、今日でも台湾で尊敬されている八田與一を登場させるなどストーリーを作っていった。

 問題は監督と演じる俳優の人選であった。魏は野球経験があった「セデック・バレ」の俳優を監督に抜擢(ばってき)し、一番のキーとなる近藤兵太郎監督役には香港映画にも出演したことのある演技派の永瀬正敏を起用した。

 野球をテーマとする映画で難しいのはフォームやプレーがひどいとしらけることだ。約千人の野球経験者の中から13人が選ばれた。特に嘉義農林のエース兼4番の呉明捷役には名門輔仁大学の現役外野手、曹佑寧(ツァオヨウニン)が抜擢され徹底的な演技指導を受けた。

 企画から4年、2014年2月に完成した映画「KANO」は、全島優勝時を再現して台北から特別列車を仕立て、関係者一同が嘉義に向かい、駅からかつての嘉農の練習場へとパレードした。6万人以上が参加し、冒頭から大変盛り上がった。上映開始にあたり「日本の植民地支配を美化するのか」「あんな映画は見るな」といった声も聞かれた。関係者は「見てから批判してほしい」と訴え、一度上映されると大変な人気を呼んだ。

 《人々に広がる感動と共感》

 台湾では映画のエンディングマークが出ると、配役、制作関係者、協力者の名がスクリーンに映っている最中でも、観客はどんどん帰ってしまうのが普通だが、「KANO」に限って「終」と同時に場内から拍手が起こり、主題歌が終わるまで誰も席を立たなかったという。

 3民族が協力して近藤監督のもと必死のプレーを見せる、特に甲子園にきて決勝進出まで3連投、決勝の対中京商業戦では右手人さし指の爪が割れ血染めのボールを投げ続ける呉投手と、それを励ます監督とチームメートの姿に台湾の若い層は感動のあまり涙を流し、目をぬぐいながら映画館を出てくるありさまだった。

 史実とは若干時期のずれがあるが、ダムの完成で水田に水が流れていくもようと嘉義農林の甲子園出場決定をダブらせる手法も効果的で9月に再上映となった。昭和6年の台湾と日本を舞台とするため、近藤監督と選手の会話はじめ住民の話す言葉のほとんどが日本語で観客は字幕で理解する以外ないのだが、青春ドラマ、人間ドラマとして純粋に楽しめる内容が共感を呼んだ大きな要因であった。

 日本でも1月末から限られた映画館とはいえ、全国で上映が開始された。中国、韓国との関係がぎくしゃくする昨今だが、戦前の台湾でこうした出来事があったこと、なぜ現在、台湾の人々がこの映画に共感するのか、ぜひ見て考えてほしい。(いけい まさる)