2015.2.22 産経新聞より
黒田勝弘 (ソウル駐在客員論説委員)
先ごろ日本に一時帰国した際、台湾映画『KANO 1931海の向こうの甲子園』を見た。日本統治時代を背景にした映画で昨年、台湾で大ヒットしたということで関心があった。同じ魏徳聖監督(今回はプロデューサー)の作品で、やはり大ヒットした“日本モノ”の『海角七号 君想う、国境の南』も数年前に見ているが、いずれも日本統治時代の過去を素材にした“日台美談”モノである。
今回の作品は「民族を超えた汗と涙の甲子園物語」だから終始、目がウルウルの心地よい感動ドラマだったが、見た後は「韓国ではこれはできないだろうなあ…」というどこか苦い味がまたしても残った。「同じく日本統治を受けた歴史を持ちながら、韓国と台湾はなぜこんなに違うのだろう?」とあらためて感じさせられたのだ。
『KANO』は戦前の台湾の「嘉義農林学校」のことで、1931(昭和6)年の夏の全国中等学校優勝野球大会(現在の全国高等学校野球選手権大会)で彗星(すいせい)のように登場し、決勝戦まで進出したことで知られる。
嘉義農林はその後、計4回、甲子園に出場した野球の名門校で、昭和16年生まれの戦後派の筆者も野球好きだったせいか、その名声は記憶していた。余談だが今回、映画を見て、日本のプロ野球で戦前から戦後にかけて活躍した呉昌征(1916〜87年)も「あの時の嘉義農林の甲子園出場組だったのか」と知り感慨深かった。
ちなみに呉昌征はジャイアンツやタイガースで活躍、戦後は1950(昭和25)年の史上初の日本シリーズで「毎日オリオンズ」の優勝に貢献している。首位打者2回、盗塁王1回などの記録を持ち95年、野球殿堂入りしている。
映画は、日本人や台湾人の混成で弱体だった嘉義農林が新しい日本人監督の下で鍛えられ、奇跡的に甲子園出場を果たす話だ。これに、台湾農業開発の父として台湾の教科書にも載っているという日本人技師・八田與一の話を重ね、日台協力で地域ぐるみの成功に歓喜する姿が描かれる。
映画のせりふはほとんどが日本語だし、いたるところで日の丸が登場する。韓国で日本モノというとすぐ“抗日民族主義者”が登場し抵抗する物語がほとんどだが、そんな余計(?)なものは登場しない。台湾ではそういう映画を40代半ばの監督が何の遠慮もなく制作し、それが大ヒットするのだ。
しかし、ちなみに魏徳聖監督は、日本統治時代に台湾先住民が日本官憲の横暴に抗議して立ち上がった「霧社事件」も先に映画化している。
映画『KANO』のラストは、甲子園で予想を覆し嘉義農林に敗れた札幌商業のエースが、後に出征の途中、嘉義農林の“奇跡”を生んだ現場を見たいと、林の中のホコリだらけのグラウンドを訪れるシーンだ。
野球というスポーツが民族や政治を超えた“美談”の背景にある。韓国にも日本統治時代にはこの種の美談は無数にあったはずだが、韓国は台湾と違って残念ながらいまなおそれを否定、無視するのに必死なのだ。