2017.4.18 産経新聞より
米国自治領のサイパン島に、戦前から日本人の銅像が建っている。この島で製糖業の事業を成功させた松江春次(はるじ)の像である。戦争中激戦の舞台となった島では、5万人以上の命が失われた。
▼開戦直前に帰国した松江は、銅像が残っているとは夢にも思わないまま世を去る。戦後、息子がたまたま見ていた海外旅行の番組に、銅像が映っていた。現地を訪れ、島民たちが米軍の前に立ちはだかって像を守った経緯を知ったという。
▼台湾の南部で、頭部が切断されているのが見つかった土木技師、八田與一(よいち)の銅像も多くの逸話を持つ。八田は昭和5年に完成した烏山頭(うざんとう)ダム建設の指揮を執り、一帯を台湾有数の穀倉地帯に変えた。その翌年に、ダムを眺める丘に置かれた銅像は、腰を下ろし片足を投げ出す珍しいポーズである。「高い台座に正装して立つ像にしてほしくない」との八田の要望に応えたものだ。
▼敗戦によって、日本人の銅像は次々に撤去され、行方がわからなくなる。八田の銅像だけは、地元民によってダムの管理事務所で密(ひそ)かに保管された。戦後の国民党政権下では、日本人を顕彰することは禁じられていた。八田の功績が再評価されるのは、李登輝総統の時代になってからである。像も元の位置に戻された。
▼八田は17年に乗っていた輸送船を米軍に撃沈されて、56歳で死亡する。妻は終戦直後にダムに身を投げた。夫婦の生涯は台湾では、教科書で紹介され、アニメにもなっている。ダムの近くには八田を記念する公園も整備されて、日本人観光客も多く訪れる。来月8日の八田の命日には、毎年慰霊祭が開かれる。
▼それだけに犯行の動機が気になっていた。やはり日本と台湾の結びつきを、快く思わない者の仕業のようだ。