2009.8.16 産経新聞
台北支局長・山本勲
台湾の李登輝元総統が来月4日から1週間にわたり訪日する。春に風邪をこじらせ5月に予定された訪日は繰り延べたが、すでに健康もすっかり回復し談論風発の“李登輝節”が全面復活した。このところ日台関係がぎくしゃくし、台湾では50年ぶりの台風災害への政府対応が混乱し、李登輝総統時代の評価がさらに上昇している。東アジアのたぐいまれな哲人政治家、李登輝元総統のいっそうの活躍に期待したいところだ。
今年3月に台北支局長として赴任した台湾は、数年前の陳水扁政権や十数年前の李登輝政権時代とは、かなり異なっていた。「本省人」と言われる、日本統治時代以前から台湾に住む大多数の台湾人の親日観、日本人に対する暖かさ、優しさはなんら変わらない。
しかし昨年5月に発足した馬英九・国民党政権の進める対中接近策のもとで、台湾における中国の存在感が随分大きくなり、その分だけ日米の影が薄くなった。
日台関係は昨年6月の尖閣諸島沖での台湾遊漁船と日本の巡視船の衝突事件で険悪化した。馬英九政権はその後、対日関係重視を打ち出して関係修復に動いた。しかし今年5月、齋藤正樹・日本交流協会台北事務所代表が講演で「台湾の地位未定」発言を行って馬政権が強く反発するなど、なおぎくしゃくした状態が続いている。
内政面では陳水扁前総統の公金横領疑惑をめぐる公判が延々と続き、民進党支持者をはじめとした台湾人の意気を阻喪させている。対中経済関係の拡大を通じて経済浮揚をめざす馬政権と、経済一体化が中国による台湾併呑(へいどん)を招くことを警戒する台湾独立派・本土派の対立は激化する一方だ。
加えて台風8号(台湾名、莫拉克)の、史上最大ともされる災害への馬政権の不手際な対応に住民の批判が高まっている。台湾社会は内外政策をめぐってまっぷたつに割れ、フラストレーションばかりが高じる困った状態にある。
それだけに台湾が最も輝いていた1990年代の李登輝時代に人々の思いが集まる。李政権は高度成長を維持し、中華圏初の民主化を実現、日米と緊密に連携しつつ強大化する中国と対等に渡り合った。日台の相互信頼も深まった。
99年9月21日未明に台湾中部を襲った大地震では李総統(当時)の命令一下、直ちに政府と軍の救援体制が始動。李総統は非常事態宣言に相当する「緊急命令」を発令して復興に全力をあげ、日本をはじめ各国が支援に駆けつけた。台湾メディアはいまこぞって「李登輝政権の経験に学べ」と馬政権を叱咤(しった)している。
現在の台湾を取り巻く窮状を打開するにはもう一度、李登輝元総統の卓越した知恵と経験に学ぶ必要がありそうだ。総統退任後5回目となる今回の訪日では、5日に東京青年会議所などが日比谷公会堂で開くイベントで講演する。
明治維新と開国近代化の道を方向付けた坂本龍馬の「船中八策」をもとに、日本再生のための李登輝版「新船中八策」を提起してもらえるそうだ。日台関係再強化のために、これまでに培った広範な人脈を駆使して新たな取り組みを始める計画もある。
台湾の将来の指導者を養成するために、30歳前後の若手を少数選抜して私塾を開く準備も進めている。老いてますます盛んな李登輝さんだが、なにぶん86歳の高齢だ。日本側関係者には歓迎熱が上がり過ぎて健康を損なわないようくれぐれも気をつけてほしい。