早川友久
3月15日、訪日した民進党の蔡英文主席は、講演会の席上、「台湾大学で3年間、日本語を勉強したがものにならず、結局米国へ留学した」と漏らしたそうだ。
蔡主席は台湾の最南端・屏東県の出身。台湾のかたちをサツマイモになぞらえる人がいるが、屏東県はそのサツマイモの尻尾の部分にあたる。父親は日本時代を経験した世代なので、日本語は日本人そのもの。日本留学させようと日本語の家庭教師までつけてくれたそうだ。
似たようなエピソードを私も聞いたことがある。
「今でも後悔しているのは、親父が日本語を教えてくれなかったこと。というより、日本語を教えてもらおうとしなかったことだな」。そうつぶやくのは公認会計士の李さんである。
李さんはちょうど50歳、蔡主席とほぼ同世代だ。両親ともに日本語を母語として話し、夫婦喧嘩のときは日本語と台湾語がチャンポンで飛び交い、子どもたちは両親が何を言っているのかよく分からなかったという。お父上はすでに他界されたそうだが、ご母堂は桃園県大渓(日本時代の面影を色濃く残す「老街」と豆干で有名な街)で達者に暮らしている。
李さんたちの世代は日本時代を直接経験した肉親を持っている場合が多く、耳学問とはいえ日本語を話せる人も多い。もちろん、日本へ留学する人も多かった。この時代、日本時代の痕跡を消そうと国民党の教育は反日を極めたそうだが、まだまだ台湾の人々にとり、留学先といえば日本、それに次ぐのがアメリカであったという。
先月、早稲田大学の学生たちが研修のため、台湾大学の日本語学科を訪れた。
挨拶に立った徐興慶教授は「私が九州大学に留学していた頃、留学生の出身国は台湾が一番でした。今日、台湾は第3位になり(1位・中国、2位・韓国)、しかもその数は徐々に減ってきています。留学生の数が減るということは、すなわち日本を知る台湾人が減っていくことではありませんか」と話された。
残念なことだが、今の台湾の大学生にとって日本はそこまで魅力的な留学先ではない。もちろん、彼らと接していると、その多くが日本に対して好感や親近感を抱いてくれているのがよくわかる。彼らにとっていちばん興味があり(台湾大学でも第2外国語に日本語を選ぶ率は断トツである)、いちばんおしゃれで、いちばん真似したくて、いちばん遊びに行きたくて、いちばん近しい国は日本なのだ。
街を歩いている学生のヘアスタイルを、プロの美容師がカットしておしゃれに変身させる番組でこんなロゴが踊っていた。『西門町から東区へ。東区から東京へ』。西門町とは中高生が集まる若者の街。東区とは台北101ビルを中心とする、銀座のような街。つまり、最新のオシャレなスタイルは東京にありということだ。
街を歩いている女のコのファッションを見ていても、日本とほとんど変わらないように思える。ここ数年、インターネットの普及で情報を得るのが容易になったためか、今、何が流行しているかが即座に品ぞろえにも反映されるという。書店には日本から輸入した『Cancam』や『JJ』などのファッション雑誌が積まれ、学生たちは研究に余念がない。最新のスタイルを研究し、似たような服やバッグを手に入れれば、一丁上がりである。
とはいっても、若者たちにとって、いざ留学となると日本への足は遠のく。留学では、「日本熱」よりも「欧米熱」のほうがむしろ高い。多くの学生が留学先として第1希望に選ぶのがアメリカだ。一昨年の統計だと、これにイギリス、オーストリア、カナダ、そして日本と続く。第5位ではあるものの、かつてほどの「留日熱」はなく、右肩下がりである。
「日本に留学したいけどね・・・」と語る彼らもいろいろと考えている。曰く、アメリカも日本と同様に生活費が高い。どうせ高い出費を強いられるなら、米国帰りの方が箔が付く(台湾に帰国して就職するときも有利かもしれない)。曰く、博士号を取りたいけど、日本で博士号をとるのは難しいそうだ(特に文系は厳しいらしい)。曰く、英語を身につければ世界で勝負できる(日本だと日系企業に就職するしかないんじゃないの)。曰く、日本では永住権を取るのが難しいから(ん?帰ってこないつもり?)、等々。
確かに頷ける理由も多い。彼らなりに自分の将来を考えて、賢明な選択をしているのだろう。
かと言って、この右肩下がりの状況を日本人として指をくわえて見ているわけにはいかない。今週、台湾大学のキャンパス内では、新学生会館のオープンに合わせ、「グローバルラウンジ」という催しが行われ、日本人留学生たちも日本文化の紹介をする。
もともと、日本に対する好奇心が強い台湾の学生のこと、多くの学生たちが集まってくれるだろう。しかし、興味や好奇心だけで終わらせず、日本がいかに吸引力を発揮して、「留日熱」をもう一度呼び起こせるか。
今、種をまいておかないと将来に実がなることはない。今こそ、一人でも多くの台湾人が日本留学へ舵をきってくれるような知恵を絞るときだと切実に思う。