【早川台湾レポート第4回】歴史とは

【早川台湾レポート第4回】 歴史とは

                    早川友久

 日本からは桜もそろそろ盛りを過ぎたというニュースが聞こえてくるのに、台北は3月末からずっと肌寒く、一度はしまい込んだコートを再び引っ張り出すような陽気が続いていた。ここ2,3日、やっと気温が上がって来て、いよいよ台北にも気持ちのいい季節が到来したようだ。

 大学図書館から出てくると、彼方に満月が輝いていた。こんな気持ちのいい夜は、月がとっても青いので、正門まで続く椰子の並木道を遠回りして帰りたいとも思うのだが、そう安穏ともしていられない。台湾大学では間もなく中間テスト期間をむかえるため、学生たちが目をつり上げながら、分厚い教科書を小脇に抱え、せかせかと図書館へと向かっていく光景は、まるでクリスマスと旧正月と選挙が一緒にやってきたような大騒ぎなのである。

 日頃からよく勉強しているように見える台大の学生たちも、そこはやはり学生で、要領よく手を抜いてサボったりしているのだが、普段は教室の半分も埋まらない授業が、試験直前にもなると席が足りなくなって立ち見まで出る始末には苦笑してしまう。隣の教室から机を運んできたり、教授の用意してきたプリントが足りなかったりと、これまた大騒ぎなのである。

 【歴史とは】

 今学期とっている授業の一つに「近代台湾的歴程」がある。先日、授業の冒頭で周婉窈先生(歴史系教授)が話してくれたことが印象に残っている。

 「歴史の研究において、大切なのは知識の立脚点です。たとえば、日本時代を検証する場合、日本の統治には「植民性」と「近代性」がありました。植民地として台湾を統治した部分と、台湾を近代化させた部分です。つまり、歴史には必ず「両面性」というものがあることを忘れてはいけません。日本時代の研究の場合、両者は切り離して研究する必要があります。そして、歴史とはこの2つがあたかもより合わされた糸のように絡み合っているものなのです。」

 これを聞いたのは、NHKで放送された「JAPANデビュー 第1回・アジアの“一等国”」の録画を送ってもらった翌日だった。時間がなかったため、この時にはほとんど見ていなかったのだが、放送直後からかなり偏った内容だったという情報が入ってきていたので、周先生の話を聞いた時、「歴史を学問として研究する姿勢とはかくなるものか」と感じ入ったのである。

 実は周先生には、日本語に訳された著書もあり、その序文では、米国エール大学の博士課程で知り合った日本人留学生とおしゃべりしていた時のエピソードを紹介している。

両親は日本時代を経験しているので日本語が話せると言うと、その相手は「じゃあ、ご両親はきっと日本のことが嫌いでしょうね」と答え、お詫びの言葉を述べたそうだ。その時、周先生はどうしたらよいかわからなかったという。

 一つには、両親に対するお詫びを私が代わりに受けることは出来なかったこと。もう一方で、両親の日本に対する感情というものは、非常に両面的なもので、「好き」とか「嫌い」などという単純な言葉では表現出来ないことを知っていたからだ、と。(『図説 台湾の歴史』平凡社 2007年)

台湾の歴史は書き手によって大きな隔たりがある。もともと日本人向けに書かれた本ではないので、“親日的な台湾”だけを求めてこの本を手に取ったら恐らく失望するだろう。ただ、私自身の印象だが、この本は学者として歴史に正対した姿勢で書かれたものと思える。

歴史に相対する姿勢の厳格さを周先生から感じ取ったゆえに、NHKが「歴史の光と影」の一方のみをことさら押し上げ、他方を覆い尽くした稚拙さが却って不興を買わせるのである。

【陳ばあちゃんのこと・その後】

台中一中街で鳥蛋を売る陳ばあちゃんのことを第2回レポートで書いた。その後、しばらく出掛ける機会がなかったが、先日、遅い時間に通りかかると、まだ屋台が出ていたので鳥蛋を買い求めた。

「ばあちゃん、一本ね」と頼むと、竹串で器用に鳥蛋を刺していく。台湾語で話しかけられたものの、こちらの台湾語はチーチーパッパ程度のものだから心許ない。仕方がないので中国語で「すみません、わからないんです。日本人なので」と答えると、急に陳ばあちゃんの顔が輝いた。

「あれー、日本の方?まぁ、珍しいですねぇ」と綺麗な日本語が返ってきた。確かに、ここ一中街は夜11時をまわると店じまいを始めてしまうことや、規模で言えば、台北最大の士林夜市にも負けず劣らずの逢甲夜市が市内に控えていることもあって、日本人の観光客は滅多に来ないのだ。また、台中にも新竹と同じく科学園区があって日本人もかなり駐在しているが、それは台中市の西のはずれ。東に位置する一中街にはこれまた縁が薄いのだろう。

「綺麗な日本語ですね」とそのままの感想を言うと、「もうしばらく話していないから、忘れてしまいましたよ。まぁ、どうしましょう」と陳ばあちゃんも嬉しそうな笑顔を見せるので、こちらも嬉しくなる。聞けば、若い時分に東京で叔父さんが開いていたレストランを手伝うため、数年間、日本に住んでいたそうだ。

「はい、一個おまけね」と手渡してくれた鳥蛋はやっぱりホクホクで美味しい。帰り際、「私はエガワトシコと申します。おやすみなさい」とまた笑顔で見送ってくれた。

翌日の夕方、再び通りかかると陳ばあちゃんの屋台には人だかり。手伝いの学生があくせくバターを塗っている。相変わらず週末には、若者が陳ばあちゃんを手伝っているようだ。みんなが関心を持ち続けているのが嬉しい。けれど、陳ばあちゃんとゆっくり会話出来ないことが少々寂しくもある。

【おくりびと】

遅まきながら映画『おくりびと』を友人ふたりと共に見に行ってきた。2月の公開前から、バスには全面広告が貼られ、CMも流されるなど話題にはなっていたのだが、なかなかきっかけがなかったのだ。封切られてから2か月が経ち、そろそろ上映終了ということで重い腰を上げたのである。中国語のタイトルは『送行者』。台湾人と全く同じように、中国語のニュアンスを感じることは出来ないけれど、でも言い得て妙のタイトルだと思う。反対に、三国志を描いた映画『赤壁』が、日本で公開された際のタイトルは『レッド・クリフ』だった。名画と呼ばれる古い洋画の邦題には思い付くだけでも『誰が為に鐘は鳴る』『風と共に去りぬ』『郵便配達は二度ベルを鳴らす』と名訳が多いのに、なぜ最近の映画は英語のタイトルをそのままカタカナにしたりしてしまうのだろう。

肝心の映画だが、感動的な内容もさることながら、日本の風景の美しさに感動した。撮影の舞台となったのは山形県庄内だそうだが、日本の季節が持つ四季折々の美しさが映画の中に満遍なく散りばめられていた。

見終わった後、台湾人の友人たちに感想を聞いてみると、偶然にも二人が同じように答えたのが一言でいうと「日本人が重んじる所作の美しさってすごい!」ということだった。主人公の納棺師(原作者の造語だそうである)は、死者を拭き清め、死装束を着せ掛け、死化粧を施して見送る。この一挙一動をピシッ、ピシッとこなしていく主人公の姿に、友人たちは美しさを感じたそうだ。

あるいは、所作に美しさを求めるのは、より高い精神性を尊ぶ日本文化の特徴かもしれない。帰り道で考えた。この地球上で、例えば『おくりびと』の映画を見て、彼らと同じように美を感じてくれる感性を持つ民族はどれくらいいるだろう。もしかしたら、私たちが美しいと感じることを、逆に「何を面倒なことを」と感じる人々も存在するかもしれない。

もちろん、台湾の人々すべてが同じという訳ではないが、でもやはり「私たちは近い」と感じたこの一件は嬉しいものだった。ここ数日、テレビから流れてくる日本の桜のニュースを目にすると、きっと彼らとなら一緒に桜を愛でる感性を共有できるかもしれないと思う。

台湾ではもうすぐ「五月の雪」と呼ばれる油桐花の季節を迎える。


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