〜日本は下関条約にもとづいて台湾を統治したので「日治」であり、
中国国民党政権は武力で台湾を占領したので「蒋拠」である〜
陳茂雄
(翻訳:多田恵)
台湾の高校歴史学習指導要領において「日治」を「日拠」に変
えることについて、先日、台湾教師連盟と台湾教授協会は教育部
前で「一字で国を失う?高校歴史教科書の『日治』・『日拠』を
めぐって」と題した記者会見を行い、教育部に対して、「日治」
という指導要領の用語を堅持し、正しい台湾史観を守るように求
めた。教育部の主任秘書・王作台はこれについて、教育部が定め
た学習指導要領の基準では「日本植民統治」としていて、「日治」
は一般的に用いられている用語であるとし、「『日拠』がいけな
いとは書かれていない」ため、「日治」と「日拠」を並陳するこ
とを排除するものではない、と述べ、総統・馬英九も同様の見方
を行った。ところが、数日も経たないうちに、馬英九と王作台の
見解は行政院によって覆された。「外来勢力」の横暴があらわなっ
た出来事である。
「日治」と「日拠」の争いについて、行政院は22日、中華民
国の国家主権と民族の尊厳を擁護する立場から、行政文書におい
て用語を「日拠」に統一することを、中央および地方の行政機関
に通達したと発表した。そのため教育部では23日、行政院の指
示に従って行政文書では一律に「日拠」を使用するが、教科書は
編纂者の解釈を尊重し、「日治」・「日拠」のどちらも使用でき
るという見解を発表した。教育部主任秘書・王作台は、教育部は
行政院の管轄下の機関であるため行政文書において「日拠」を使
うことがありうる。一方、教科書には厳格な審査制度があり、現
行の高校歴史学習指導要領においては「日本統治時期」・「日本
植民統治」という表現を使用しており、この要領に違反しないと
いう前提において、教育部では教科書の編集者が歴史の文脈のな
かで行った解釈を尊重し、憲法の表現の自由を保障するとして、
「日治」・「日拠」のどちらも使用できると述べた。
この争いは、表面的には「日治」と「日拠」の間の争いである
が、実際には「外来勢力」と「(台湾)本土勢力」の対立である。
「外来勢力」は中国を中心に据え、中国の統治に属さなかった時
期の台湾の歴史と文化を消し去ろうとする。「本土勢力」は台湾
を中心に据えて歴史を見る。台湾は異なる外来勢力の統治を受け、
これは台湾人が望んだことではなかったが、台湾を中心に据える
歴史観とは、必ず台湾の歴史に忠実でなければならないと考える。
中国は二回外来勢力による統治を受けたが、中国人たちはそれら
の時代を「元朝」および「清朝」と呼んでいる。それを「モンゴ
ル占領時代」および「満州占領時代」と呼ぶことはしていない。
なぜなら彼らは中国を歴史の中心に据えていて、歴史の真実を尊
重しているからだ。それにもかかわらず、彼らは台湾を認めず、
台湾を中心に据えて台湾の歴史を見ることを拒んでいる。そのた
めに「日拠」問題が生じているのである。
主権の主張について、国際的な慣例にもとづけば、つぎの三つ
の条件の一つに合致している必要がある:第一は、国際条約。下
関条約にもとづいて日本は台湾の主権を獲得した。第二は継承。
中華民国は大清帝国を継承して中国の主権を手に入れた。第三は
占領の事実。たとえばソ連が第二次世界大戦の末期に日本の北海
道の四島を占拠し、日本の領土をロシア(以前はソ連)の領土に
した。国際条約と継承にもとづいて取得された主権は合法的な主
権であると公認され、「統治」と呼ばれる。武力による占拠によっ
て土地を取得することは「占領」と呼ばれ、その居住民がその外
来勢力を認めたときに初めて「統治」と呼ばれるのである。中国
人はモンゴル人や満州人が侵略した第一段階を「占領」と呼び、
その後、「統治」としている。
はっきりしていることは、日本は下関条約によって台湾の主権
を取得した。当然、合法的な統治である。であるから「日治」と
呼ぶべきである。他方、中国国民党政権は武力で台湾を占拠した。
したがって「蒋拠」と呼ぶべきである。外来政権は、中国が「カ
イロ宣言」によって台湾の主権を取得したと表明している。彼ら
は「カイロ宣言」を国際条約と同等に扱っているが、これは、
まったく常識に欠ける論法である。いかなる条約であれ、締結国
のものしか処分できない。第三国の権利について決定することは
できないのである。だれかが、通行人Aと契約を結んで、馬英九の
財産を処分できないのと同じ道理である。当時、台湾の主権は日
本に属していた。そして日本は「カイロ会議」に参加していな
かった。米英中の三国はいったいいかなる権限があって、日本の
主権について処分することができようか。はっきりしていること
は、中国国民党の台湾占領は当然「蒋拠」と呼ばれるべきだとい
うことである。
台湾本土派の人々は日本に対してかなり友好的であるが、これ
について「外来勢力」は驚かなくともよい。台湾人はもともと日
本を嫌っていたが、中国国民党政権が台湾に来たことが、台湾人
をして極めて日本を懐かしむようにしむけたのである。日本は植
民統治ではあったが、台湾人は自由に「台湾」の二字を使用する
ことができた。一方、中国国民党政権は「台湾」の二字が目に触
れることを許さなかった。かつて「台湾教授協会」が法人として
登録できなかったのも、まさに「台湾」二字のためであった。台
湾の団体が「台湾」を名乗れないというのは、何たる不合理であ
ろうか。
(作者は元・中山大学教授、現在、台湾安全促進会会長)
http://mypaper.pchome.com.tw/news/mhchen0201
2013年7月24日、『太平洋時報』「台湾から台湾を見る」掲載