【寄稿】李登輝元台湾総統がノーベル平和賞を受賞するに足る所以(1)

【寄稿】李登輝元台湾総統がノーベル平和賞を受賞するに足る所以(1)

─台湾民主化についての功績

           柚原正敬 (日本李登輝友の会 事務局長)

総統在任中の12年間に、台湾を独裁国家から民主主義国家に変革し、世界水準の経済大国に育て上げた李登輝は、台湾のみならず世界から「ミスター・デモクラシー」とも「台湾民主化の父」とも讃えられ、哲人政治家とも称される。

李登輝にノーベル平和賞をという声は、すでに総統在任中の1994年頃より台湾内部で起こり、ノルウェーのノーベル平和賞委員会の発表によれば、総統在任中の1996年と1998年の2回、平和賞候補に上っていた。

李登輝が2000年に総統を退任後、10年を経た現在、台湾民主化に果たした功績はいささかも揺らいでいない。ここに、ノーベル平和賞を受賞すべき所以を5つの観点から説明してみたい。

1、軍隊の中立化

1988年1月13日、李登輝は蒋経国総統の死去により台湾の国家元首である総統の地位を継承した。

李登輝は台湾民主化の第一歩として2月22日、内外の記者団を集めて初の公式記者会見を開いた。このような記者会見は、中国国民党が台湾に移ってきてから初めてのことだった。4月21日には蒋経国歿後100日を機に、政治犯の一部を減刑して釈放している。

しかし、当時の台湾は党と国が不可分の上、党が国の上位に立つ「党国体制」と称される独特の体制で、革命政党の中国国民党では党主席の地位は国家元首の総統を凌駕していた。軍隊は党の軍隊であり、国家の軍隊ではなかった。李登輝はそれまでまったく軍部と無関係だったため、中国国民党の主席、総統という国家元首、陸・海・空三軍の最高司令官であっても、総統府の衛兵に命令することさえできなかったと言われている。

そこで、軍を掌握すべく、深い考察に基づく人事の妙を発揮した。その当時、8年間も参謀総長の座にあって、軍部を完全に支配下におさめていた_柏村を1989年12月、国防部長に格上げすることで作戦・統帥部門から切り離した。次に、1990年6月、シビリアン・コントロールの原則に従い、軍籍離脱を条件としてカク柏村を要職の行政院長(首相に相当)に起用し、軍部への影響力を低下させた。李登輝はその一方で、反カク柏村派の軍人を参謀総長などに登用して軍の掌握に努めた。

カク柏村を行政院長に指名した人事は、軍人出身ゆえに治安と秩序の回復を容易にさせる効果も発揮し、政治改革や民主化の推進を容易にした。さらに、カク柏村は行政院長になってもその権限を持たない軍事会議を招集していたことを背景に軍事クーデターの噂が広がり、それが立法院で問題にされたことを機に、軍自らが軍人の政争介入を禁ずる命令を発する事態に発展した。そこで李登輝は、カク柏村を次期行政院長に指名しないことを表明、台湾省主席だった腹心の連戦を次期行政院長に指名する。1993年2月27日、連戦が行政院長に就任し、国防部長や国民党秘書長などにも腹心を配し、ここに李登輝は軍からカク柏村の影響力を完全にそぎ落としたことで、台湾軍を国家の軍隊として中立化することに成功する。

軍の中立化は、台湾の民主化にとって最大の障害を取り除いた措置であり、台湾に長期的な安定をもたらし、李登輝の功績の中でも特筆される。


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