【台湾有情】天長節の歌
産経新聞:2012年12月20日
「滅びた文化を学んで何になる」と苦悩しつつ、「そこに歌壇があったから」と短歌を
詠み続けた。
今秋の外国人叙勲で、短歌の普及によって旭日双光章に輝いた台湾歌壇の元代表、鄭●
耀さん(88)はこう振り返る。日本統治時代の台湾で台北帝大予科の受験にも挑戦した努
力家は、日本が去った戦後の台湾で「日本文化に飢えていた」とも。
その鄭さんへの勲章伝達式が18日、日本の対台湾窓口機関、交流協会台北事務所(大使
館に相当)で行われ、駆けつけた大勢の台湾歌人らが祝福した。
1967年に歌壇を立ちあげた先人、呉建堂氏(故人)は「短歌(うた)詠み継げる人や幾
人(いくたり)」と嘆いたが、現会員数は約130人。若者や日本人の入会も増えた。
「天皇を神と思ひし彼の日々を 空虚なりしと我(われ)は思はず」
鄭さんの歌集「国替りの記」の一首にちなんでか、式典後、現代表の蔡焜燦さん(85)
が、「もうじき天皇誕生日ですから」と歌壇全員での合唱を提案。勲章を着けた鄭さんを
囲み「今日のよき日は大君の…」と、「天長節の歌」が会場にこだました。協会の若い日
本人職員が目を丸くする中、日本に心を残したままの台湾の高齢歌人の歓喜の歌声に、涙
がこぼれそうになった。(吉村剛史)
●=土へんに良