壇代表の鄭埌耀(てい・こんよう)さんに樽井澄夫(たるい・すみお)代表から勲記
と勲章が伝達されたことをお伝えした。
そのとき、日本ではこの報道が見当たらず、台湾の中央通信社が伝えていたので、その
記事を紹介したが、昨日の産経新聞で吉村剛史(よしむら・たけし)台北支局長が名物の
「台湾有情」で、この伝達式後、駆けつけた「台湾歌壇」現代表の蔡焜燦氏ら「台湾歌
壇」のメンバーと「天長節」の歌を歌ったことを伝えている。
ちなみに、日本交流協会台北事務所が主催する「天皇陛下御誕生日祝賀レセプション」
は12月12日に行われ、ご招待を受けた本会からは「祝 天長節」と大書した生花を2基出さ
せていただいた。
もちろん、このレセプションには蔡焜燦氏も参加されていたが、蔡氏は本当はこの席で
「天長節」の歌を歌いたかったのではないだろうか。
それにしても、この蔡焜燦氏といい、八田與一や後藤新平などの日本人の胸像をつくっ
て台湾への功績を讃える奇美実業創業者の許文龍氏が叙勲されていないというのは、なん
とも不思議な感を禁じえない。
◆天長節の歌[YouTube]
http://www.youtube.com/watch?hl=ja&gl=JP&v=Y-2iT-dZfCk
【産経新聞:2012年12月20日「台湾有情─天長節の歌」】
「滅びた文化を学んで何になる」と苦悩しつつ、「そこに歌壇があったから」と短歌を
詠み続けた。
今秋の外国人叙勲で、短歌の普及によって旭日双光章に輝いた台湾歌壇の元代表、鄭●
耀さん(88)はこう振り返る。日本統治時代の台湾で台北帝大予科の受験にも挑戦した努
力家は、日本が去った戦後の台湾で「日本文化に飢えていた」とも。
その鄭さんへの勲章伝達式が18日、日本の対台湾窓口機関、交流協会台北事務所(大使
館に相当)で行われ、駆けつけた大勢の台湾歌人らが祝福した。
1967年に歌壇を立ちあげた先人、呉建堂氏(故人)は「短歌(うた)詠み継げる人や幾
人(いくたり)」と嘆いたが、現会員数は約130人。若者や日本人の入会も増えた。
「天皇を神と思ひし彼の日々を 空虚なりしと我(われ)は思はず」
鄭さんの歌集「国替りの記」の一首にちなんでか、式典後、現代表の蔡焜燦さん(85)
が、「もうじき天皇誕生日ですから」と歌壇全員での合唱を提案。勲章を着けた鄭さんを
囲み「今日のよき日は大君の…」と、「天長節の歌」が会場にこだました。協会の若い日
本人職員が目を丸くする中、日本に心を残したままの台湾の高齢歌人の歓喜の歌声に、涙
がこぼれそうになった。(吉村剛史)
●=土へんに良