【産経新聞:2013年7月12日「台湾有情」】
身分証の姓名は胡忠正だが、その青年は「エビスタダマサ」と日本語で名乗った。ブヌ
ン族のイスタダ・アリーマンの名で短歌、俳句も発表している。日本統治時代に「高砂
族」と呼ばれた台湾の先住民は部族ごとに言葉が違い、日本の公教育で日本語が初の共通
言語となった。
イスタダさんの故郷は台東県関山。ブヌン語と日本語しか話せない祖母の膝の上で幼少
期を過ごした。
8歳で両親の出稼ぎ先の台北に転校したが、同級生にブヌン語を笑われ、日本語も通じず
「必死で中国語を覚えた」という。
台北科技大に進み、機械学を修めたエンジニアは、兵役後に「祖母ともっと深い会話が
したい」と一念発起して銘伝大の応用日本語科修士課程に進学。短歌や俳句に出合った。
両親は中国語以外の言語が否定された世代のため、祖母はイスタダさんとの会話や短歌、
俳句作品を心待ちにしてくれたという。
その祖母が92歳で他界した昨年末、イスタダさんは手向けの短歌を詠んだ。
音もなく大地に帰する花一輪祖母を見送る涙雨やまず
現在、博士号取得を目指し日本への留学準備中だが、「米や野菜を月謝に、日本語や機
械学を教える学校を台東で開き、祖母と故郷に恩返ししたい」と語った。
(吉村剛史)