(「明日への選択」2012年5月号)より
林 建良 (りん けんりょう)
日本の台湾に対する姿勢は二通りある。一つは台湾をかつての同胞として情を持って接し、一つは中国の目線に合わせて接すると言うものだ。
したがって台湾を一つの独立した実体とみている国民が多くいるにも関わらず、外交では中国に気兼ねして台湾との表の交流を避けてきた。
●二つの神話に基づく日本の対台湾外交
日本はなぜ、かつて統治してきた台湾に対して冷淡な外交を行うのか。
その原因は戦後の日本の台湾に対する外交が、「二つの神話」に基づいて行ってきたからであろう。先ず1972年までに、台湾へ逃げ込んだ国民党政権を「中国を代表する唯一の合法政権」として承認したこと。そして1972年以降に、共産党政権を「中国を代表する唯一の合法政権」として承認し、台湾を中国の一部としての中国の主張を「理解して尊重」するとしたことである。
台湾の国民党政権が全中国を代表すると言うのは当然神話であるが、台湾を中国の一部とすることも同じく神話である。いずれも台湾人の存在を無視した外交姿勢だ。
それでも日台間の関係が比較的に円滑に保たれているのは二つの要素が考えられる。それは台湾人の強い親日感情とアメリカの存在だ。台湾人の親日感情が日台関係にプラスに働くことは当然のこととしても、アメリカの存在が日台関係をどのように影響したのか。
●アメリカの「台湾関係法」とは
そのキーポイントはアメリカの国内法である「台湾関係法」だ。
アメリカは、台湾関係法を制定して台湾を中国とは別個の存在にし、台湾に対する外交を行う法的根拠を与えている。台湾関係法には「同地域の平和と安定は、合衆国の政治、安全保障および経済的利益に合致し、国際的な関心事でもあることを宣言する」(第二条B項2)と明文化するとともに、台湾有事の際にアメリカ政府がしかるべき行動をとるように義務付けている(第三条C項)。
台湾関係法によって台湾は実質的にアメリカの同盟国になり、日本とも間接的な同盟関係になっている。こうしたアメリカの介在によって、日本の南西海域の安全が保証されており、日本もアメリカの台湾関係法の恩恵を預かっているのだ。しかしこの二つの要素ではいずれも日本はイニシアチブをとっておらず、日本のシーレーンを扼している台湾との関係維持を台湾人の親日感情やアメリカの台湾関係法に依存している。
●日本には対台湾政策が存在しない
日本には台湾に対する外交政策が存在していないのだ。確かに日本は台湾を中国の一部との中国の主張は承認していないが、この主張を「理解して尊重」する日中共同声明に雁字搦めになっている。日本は対台湾事務を外務省の中国課に所属させ、中国の主張に合わせている。
72年以降、日台交流の窓口として日本に「交流協会」、台湾に「亜東関係協会」と、それぞれ「民間機関」を作った。この両機関は法的裏付けが全くないままに取り決めを交わし、人員、船舶、飛行機の出入国、在留、経済、投資等々国家主権に関する事項を14か条で規定したのだ。
かくして日台間の外交事務はこの二つの「民間機関」を通じて行わなければならなくなり、政府間の接触は日本外務省の内規によって禁止された。
国と国との間の煩雑な事項が一民間機関を通して交渉しなければいけないような外交は実質上の外交放棄でしかない。更に、台湾駐在の実質的責任者である交流協会総務部長は、例外なく外務省中国課からの出向であり、交流協会の任期満了後も対中国外交に携わるのだ。出世を狙う彼らは台湾との友好促進よりも、中国の機嫌を損なわないよう台湾との関係強化にブレーキをかけることが重要である。極端に言えば、いくら日本と台湾との関係を悪化させても中国の逆鱗に触ることなく無事に任期を終わらせることが出来れば彼らの出世コースに傷づくことはない。
●台湾に威張る日本の外交官
そのようないびつな構造だから、日本の外交官は中国に卑屈な態度で接する一方、台湾にはぞんざいな態度で見下している。意識だけでなく構造的にも不平等である。例え「交流協会」は実質的外交機関とは言え、国からの予算編成もなく国会からの監督もない。対する台湾側の「駐日台北経済文化代表処」は国からの予算で運営し、国会の監督も受けているが、台湾の駐日外交官は日本の政府機関への接触は禁じられている。一方、日本の駐台湾外交官は台湾の国家元首をはじめ、いかなる政府要員とも接触出来る。
対日外交を担当している友人から日本側と接触する度に屈辱的な思いをさせられると筆者にこぼしている。第一線の外交官の感じることはやがて国民にも伝わるであろう。国力によって外交上の不平等があるのはつきものだと理解出来ても、日本の対台湾外交は台湾の親日感情を蝕む外交であることは指摘しておきたい。
●「民間機関」の限界
外交は当然政府間のみでなく民間ベースの人的交流や経済交流も重要であろう。しかし、民間ベースですべて完遂出来るのならば外務省はいらないのだ。主権、協定、条約等々、国の保証が必要とする事項は多くある。善意は外交にとってプラスに働くが、善意にのみに頼る外交は必ず滅びるということは歴史の教訓である。
法的根拠のない日台外交の障害とは何か、一つの例を挙げてみよう。
「交流協会」も「駐日台北経済文化代表処」も民間機関に過ぎないが、両機関ともにビザの発行などの主権に関する認証を行っており、実質的に大使館の機能を持っている。このような歪んだ事態は本当に将来も持続可能なのだろうか。
実際、1983年に中国が台湾と日本のビザ発行について抗議した。当時の中国の国力は今ほどではなく、どちらかと言えば日本の方が国際的に存在感のあった時代であった為にこのことは結局うやむやになり事なきを得た。
●法的根拠を与えるアメリカの台湾関係法
同じく台湾と外交関係を持たないアメリカはどのように台湾に対処しているのだろうか。アメリカは1979年に台湾の中華民国政権と断交後、時間をおかずに国内法である台湾関係法制定した。
なぜ国際法ではなく国内法なのか。
筆者は1999年にハワイで開催した世界台湾同郷会の会議において、アメリカが台湾に関する法律を設定することは台湾に対する内政干渉にならないかとリチャード・ブッシュ米国台湾関係協会理事長にぶつけてみた。
彼は、台湾と断交したからと言って、台湾は中国の一部になったわけでもなければ、消えたわけでもなく、アメリカにとって台湾は重要な存在であることは変わりがない。だから国交のない台湾をどう対処していくのかの法的根拠が必要だ、これはアメリカの国益の観点から制定した法律であり、アメリカ国民に対する義務を持つ国内法になるのだと答えた。これは日本にも通じる道理であろう。
アメリカの台湾関係法は全十八条で構成しており、主な目的は台湾との接触に法的根拠を与えるものだ。
その主な柱は四つある。台湾の平和と安定はアメリカの国益に合致することと明文化すること(第二条B項)。台湾との関係を中断することなく1979年以前に締結した条約にそのまま効力を持たせる(第四条)。台湾への防衛性武器供与と台湾の安全を守る義務付け(第三条)。台湾に関する事務は議会の監督下で行うこと(第十四条)。
こうしたアメリカの対台湾政策は、国益に基づいて立法しており、議会の監督の下で行っている。
●日本の安全に直結する日本版台湾関係法の制定
日本には台湾との外交を遂行するために法的根拠が不可欠で、日本版台湾関係法の制定は急務であるとの日本の識者の声もある。実際に2005年、平成国際大学の浅野和生教授が「日台関係基本法」の試案を発表した。法的根拠のない外交の難しさを体感していた当時の許世楷駐日台湾代表はこの試みを高く評価している。浅野氏の試案はあくまでも現在行っている日台間の外交業務の法案化に過ぎないが、現存の民間ベースの取り決めを法案化することこそ重大な意義があるのだ。
日本版台湾関係法の制定には必ず中国の強い抗議にあうことは簡単に予想が出来る。日本の有益になることであれば、いつでも中国は必ず反対するのだ。靖国問題であろうと憲法改正問題であろうと中国は常に異議を唱え、その都度日本は萎縮して国益に反する方向に引っ張られる。
だが、中国が強大になったからこそ、日本版台湾関係法の必要性が更に高まる。中国の台湾併合の野心が日に日に高まっており、台湾が中国のブラックホールから抜け出すことも以前より困難になっている。このままでは台湾が中国の一部になるのはもはや時間の問題だ。そうなると中国の潜水艦は自由に台湾の東海岸から太平洋を通って日本の裏庭に進出し、日本国の命運も完全に中国に扼される。
こうした事態を防ぐ第一歩が、台湾と国レベルで連携出来る法的整備であることは言うまでもない。日本の台湾関係法制定は台湾人にとっても絶大な励ましにもなり、台湾は歓迎している。勿論それが出来るかどうかは偏に日本人の覚悟にかかっているのだ。