傳田晴久
1. はじめに
9月26日(土)廣枝音右衛門警部の慰霊祭に参列させていただいた。今年で4回目である。3人のお坊様による読経のなか、色々なことが思い出される。今年の夏、ある台湾の老婦人から「日本は何であんな馬鹿な戦争をしたんでしょうね」と、突然訊ねられた。廣枝警部は先の大戦、マニラ戦線で部下の台湾人兵士数百人を故郷に帰らせ、自らは拳銃で自決された方である。「馬鹿な戦争」に従事した者の恩義に報いるために長年にわたり慰霊を続けられた警部の部下劉維添氏は一昨年亡くなられた(享年91歳)。その慰霊を続けられる姿を見て、慰霊を引き継ぐ決心をされたという日本人の渡邊崇之氏、更に今日ここに集まった数十人の老若男女。先の戦争は「馬鹿な戦争」だったのだろうか。「馬鹿な戦争」で亡くなられた方の慰霊の為に、こうして沢山の方々が遠方からお集まりくださるのだろうか。
2. 廣枝音右衛門氏慰霊祭
廣枝警部については台湾通信No.70「廣枝音右衛門氏」(2013年1月31日)で紹介させていただいた。
警部は突撃命令が出された時、部下たちに故郷には妻子父母兄弟が待っている、ここで死ぬ事は無い、何とか生きて帰れと指示し、自らはその責任を取って自決された。戦後、日本人を祀ることなどできない中、劉維添氏は仲間とともに隊長の恩に報いるために、慰霊祭を執り行って来られた。
渡邊崇之氏は劉維添氏の遺志を引き継ぎ、毎年9月26日、廣枝警部並びに劉維添氏の命日に慰霊祭を執り行うことを誓っておられる。我々も出来る限りの応援をしたいと思い、また多くの台湾、日本の人々に、特に若い方々にこの事を知っていただきたいとの思いで、慰霊祭に参列させていただいている。今年の慰霊祭には最年長は88歳、最年少は5歳の善男善女48人が集われた。
3. ある老婦人の問いかけ
ある会合でのこと、私の隣に座られた優に80歳を超えられた老婦人が、四方山話の途中、突然先の質問をされた。私は一瞬どう答えたものか、「そうですねぇ」と相槌を打つもよし、「さぁ・・・・」ととぼけるもよし、しかし、その時「テル爺様」の「誤りはその場で正すべし」の声が聞こえたように思う。テル爺様については何時の日か、この台湾通信で取り上げたいと思っている方で、旧海軍の勇士、日本再興の為に尽力されている西川晃男氏である。ある時、ある台湾人が大東亜戦争について、「?」が付く考えを述べた時、すかさず大きな声でその誤りを指摘し、正されるのを見かけた。私がその大きな声に驚いていると、テル爺様は「誤りは云々」と仰ったのである。
老婦人に対して、「私は馬鹿な戦争とは思いません」と、私が知っている範囲の、真珠湾攻撃に至る日本の歴史、経済封鎖、日本の資源状況、失業の恐怖、ABCD包囲網などの話をし、かの戦争は自衛のための戦いであって、あそこで立ち上がらなかったら今日の日本はあり得ないと思う、などと話した。
老婦人は、小さい声で「私が聞かされていることとまるで違う」と怪訝な顔をされていた。
この方の年齢は分からないが、現在85歳として、終戦時は15歳前後、戦後受けられた教育は中華民国のそれであろうから内容は推して知るべしである。
4. あの戦争は馬鹿な戦争か?
インターネットのあるサイトで「『歴史のifはない』とはそもそもだれが言い出したのか?」という問答を見つけた。ベストアンサー以外の回答に、「歴史で起きた事実は一つしかない訳で、どのように『もしも』を加えて、想像を逞しゅうしても、現在につながらないと言うことだと思います。」という回答があった。中々の卓見である。
あの戦争が「馬鹿な戦争」か否か、戦争の目的は何か、そしてあの戦争は目的を達成したかどうか、考えてみたい。
以下は、昭和26年5月3日、米国議会上院の軍事外交合同委員会におけるマッカーサーの証言である(「芋太郎の広場」より引用)。
マッカーサーは、日本が狭い国土に膨大な人口を、労働に価値を置く優秀な労働力を抱え、生産能力を有しているにもかかわらず、国産の資源がないことに触れ、「日本には、蚕を除いては、国産の資源はほとんど何もありません。
彼らには、綿が無く、羊毛が無く、石油製品が無く、スズが無く、ゴムが無く、その他にも多くの資源が欠乏しています。それらすべてのものは、アジア海域に存在していたのです。
これらの供給が断たれた場合には、日本では、一千万人から一千二百万人の失業者が生まれるという恐怖感がありました。
したがって、彼らが戦争を始めた目的は、主として安全保障上の必要に迫られてのことだったのです。」と証言した。
目的は決して一つではないかもしれないが、少なくとも経済的自衛と言う目的はあったと思われる。
日本は1945年8月15日、ポツダム宣言を受諾し、敗戦国となったが、1964年に東京オリンピックを開催し、世界に戦後復興の姿を示した。敗戦後20年足らずで復興し、やがて世界第2位の経済大国になったのである。これでもあの戦争は「馬鹿な戦争」だったのであろうか。
とは言え、あの戦争では悲惨な出来事が沢山あったのも事実である。私は戦争を礼讃し、前の大戦を美化する積りは毛頭ないが、前述の「if」論ではないが、「結果は結果」ではないだろうか。
5. 友志会での握手
積極的に戦争をしたいと思う人はまずいない。10日ほど前、9月19日、「安保法案」が参議院を通過した。この法案は戦争を抑止する目的で作られたと理解しているが、この法案を「戦争法案」と称して反対する人々も居る。国会前で行われたデモをテレビで見たが、60年安保を思い出した。もちろん私もデモに参加したし、6月15日の夜(樺美智子さんが亡くなられた)も国会周辺に居り、「安保反対!」「岸を倒せ」を叫んでいたが、実は当時、安保条約の条文を1行も、1字も読んでいなかった。
WILLと言う雑誌(2015年10月号)によると、当時の全学連の指導者唐牛健太郎氏も西部邁氏も条約文を読んでおらず、唐牛氏は「馬鹿野郎、あんなもの読むわけねえだろう」と言ったとか。
今回、国会周辺で「戦争法案反対」を叫んだ人々は、皆さん法案の内容を熟読玩味されての参加であると思いたい。
李登輝友の会のメルマガ「日台共栄」Vol.2489に、櫻井よしこ氏が台湾安保協会(羅福全理事長)が主催する「両岸関係とアジア太平洋地域国際平和セミナー」の会場に着くや、「台湾の関係者が『安保法制成立おめでとうございます。』と次々に声をかけてきた」と報じている。
実は私も同様な経験をしている。高雄の日本人学校の先生方が中心となって進める日台交流の会、「志の会」(台湾の正式名称は「友志会」)があるが、7月19日の月例会の場で、会員の王朝桐さんがニコニコと握手を求めてこられ、「おめでとう、安保法制成立、これで台湾も安全に・・・・」と仰った。同月16日に安保法案が衆議院を通過したことを祝って呉れたのである。台湾にはこのように、この度の「安保法制」とその審議過程に強い関心を持つ方がおられる。
6. おわりに
「馬鹿な戦争」が起こらないように最大限の外交努力をしなければならないが、こちらの意図に反して、戦争を仕掛けてくる国がないとは言えない。国の安全は自ら守らねばならないのは当然であって、その為の備えはしっかりとしておくのが、普通の国の責務である。先人の慰霊祭においていろいろ考えさせられた。