「中国ガン・台湾人医師の処方箋」より(林 建良著、並木書房出版)
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●地獄の中に天国はない
手に入らないものはない富豪たちにとって、中国はまさに天国と言える。だが、富と権力の集中とは、すなわち「リスクの集中」であることは歴史が証明している。権勢を極めた一族は必ず衰退する。これは不変の法則である。
だから権力者や富豪たちは、権力と富が増すごとに恐怖感を深める。権力と富を失う恐怖と、妬まれて攻撃される恐怖である。そのため、中国の富豪たちは例外なく自宅の周りを要塞かと見紛うばかりの高く厚い塀で取り囲み、その上、ボディガードを何人も雇っている。
日本の常識なら、自宅に巨額な現金を置くことは危険なことだが、中国の富豪たちは必ず巨額の現金を手元に置いている。なぜかと言えば、銀行に入れるといざというときに没収される恐れがあるし、すぐに逃げなければならないときにはやはり現金が必要だからである。中国人富豪の恐怖感は日本人の想像以上のものなのだ。
二〇一二年六月三〇日付の台湾最大紙「自由時報」の一面に、習近平の自宅に三・四億もの米ドル現金が置いてあると報道された。日本円に換算すれば二百七十億円だ。どのぐらいの札束になるかは想像もつかない。
しかし、習氏にはこれほどの現金が手元にないと安心できないのであろう。しかも、人民元ではなく、世界中どこでも通用する米ドルというのだから、いっそう興味深い。それはいつでも国から逃げられるように準備していることを意味するからだ。国の指導者でさえも、中国では安心して暮らせないのだ。
一方、中國には、いまだに一日二ドル以下しか収入のない貧困層が日本の人口の二倍に相当する二・四億人もいる。そのうち、明日の糧さえも手に入ることができずに飢えている者は千万以上に上るという。
まさに「朱門酒肉臭、路有凍死骨」(富豪の家には食べきれず腐っていく酒と肉、路地には凍死者)の様相を呈しているのが今の中国だ。
では、このように他人の屍の上に成功した中国富豪は、果たしてその成功の果実を安心して享受できているのだろうか。
●天国に上ったり地獄に落ちたり
金持ちになるためには、権力と結託しなければいけない。金持ちになってからは、その結託はますます深まっていく。しかし、どの国でも権力に伴う闘争が付きものである。付いていく権力者が勝ち組で居続ける保証はどこにもない。権力者が転落してしまえば、企業家も道連れとなる。
薄煕来の失脚事件から、中国の権力闘争の凄まじさを垣間見ることができる。宮殿さえもしのぐような超豪邸に住み、行政、警察、司法を一手に握り、軍さえも動かせる薄煕来は、誰が見ても権力者だった。法律事務所を開業している妻の谷開来が行政に絡む案件でぼろ儲けし、息子の薄瓜瓜はアメリカの名門大学で派手に遊んでいた。
その一族も、闘争で敗者に転じると犯罪者になる。権力闘争に負けて失脚した打撃は、彼と結託していた金持ちまで及ぶ。どれほどの人数になるかはわからないが、少なくとも彼が打ち負かして財産まで没収した重慶の企業家たちと同数か、それ以上の人間になるだろう。それなら、数千人にのぼる数だ。その家族や関連する人間も入れると数万人になるだろう。薄煕来一人の権力闘争の勝ち負けによって、数万人もの人間が天国に上ったり地獄に落ちたりする。
専制政治や独裁政治も同様だが、中国のように権力が集中することで確かに物事の効率は良くなる。鶴の一声ですべて動きだし、即断即決もできるからだ。
日本の企業家がそのような中国の権力者の力を見せられると、イチコロだ。彼らが中国の効率の良さを絶賛する心理もわかる。普通の人間は権力の前に卑屈になるからである。その権力も、行政だけでなく、生殺まで決定できる司法権も一手に握る中国の権力者の前では、普通の人間なら誰もが萎縮する。
しかし、薄煕来事件が一つの不変の真理を教えてくれている。権力者は、高く上れれば上れるほど、落ちるリスクも高くなり、落ちたらその傷も深いということだ。だから権力を牽制するため、効率のあまりよくない民主主義の制度ができ、いざとなれば司法や立法機関で権力を剥奪できるようにしている。
●広がる中国の「仇富現象」
持てる者に対して持たざる者が妬みを持つのは世界共通と言ってもよいが、中国の「仇富現象」(富裕層に怨念を持つ現象)は次元が違う。
なぜなら、中国は先富論で経済を発展させてきたが、先に富めるとは、持たざる者からの掠奪経済と言える。低賃金で働く労働者からの搾取だけでなく、経済発展に伴う土地開発は農民や貧しい住民からの土地の掠奪によって成り立っている。その中から発生した巨大な利権は地方官僚と企業家に分配されてきた。
直接的にせよ、間接的にせよ、中国の富裕層は例外なく貧困層からの掠奪の図式で財を成している。権力との結託なしではありえない成功だから、持たざる者から敵視される。
彼らは一時的の掠奪だけでなく、既得権者になった後も、不動産を釣り上げ、物価を上昇させ、そこからさらに利益の獲得を拡大していく。そのぶん低所得者は相対的に可処分所得が減り、インフレの最終的な被害者になる。
低所得者の怨恨の深さは、富裕層とその家族に対する誘拐事件の多さでわかる。こうして中国の富裕層はブランド品を身にまとって見せびらかす一方、犯罪の標的になることに怯えているのが現実だ。
一方、彼らの富が増えれば増えるほど、底辺の人民の生活は苦しくなる。所得格差の拡大によって、富豪たちの恐怖感も高まる。彼らにとって、中国は金稼ぎの場所ではあるが安住の地ではない。
富豪たちの不安は所得格差だけにとどまらない。もっと恐ろしいのは、構造的不安である。
もともと、権力と結託した金儲けなので、権力者との縁を切ることはできない。権力者の飽くなき要求に応じなければ、富豪たちも簡単に犯罪者に仕立てられてしまう。
たとえば、浙江省出身の女性企業家の呉英は違法な資金集めをしたとして逮捕され、財産を没収された。それだけでなく、死刑にされてしまったのだ。違法な資金集め程度の犯罪でなぜ死刑にならなければいけないのかと言えば、背後にいる汚職官僚たちによる「口封じ」のためだった。同じような手法は薄煕来も使っており、多数の企業家を死刑にし、没収した財産の一部を懐に入れたと言われている。
こうして富豪たちは、権力との結託によって財を成すも、権力によって犠牲にされるのではないかという「構造的不安」に怯えているのが実態だ。これは天国ではない。不安にさいなまれ、恐怖に怯え続ける地獄と言ってよい。
中国の勃興についてはさまざまな見方がある。中国を世界経済の救世主のように持ち上げる見方もあれば、そのいびつな構造と巨大な規模に潜む不可測要素を危惧する見方もある。
しかし、成功者とされる中国の富豪たちが抱く恐怖心を見ていると、少なくとも一つの事実がわかる。それは、地獄の中に天国はあり得ないということだ。