50年ぶりの児玉神社【神奈川 野村勝美】

10月1日(日)に神奈川李登輝友の会として参拝予定

 本会の神奈川県支部は今年2月19日に発足しましたが、支部長の石川公弘氏(元大和市議
会議長、高座日台交流の会事務局長)をはじめ台湾李登輝学校研修団の卒業生が多いこと
も特徴のひとつです。

 ブログ「ノムさんの時事短評」で児玉神社例大祭の模様を書かれている野村勝美(のむ
ら かつよし)氏も石川氏が団長をつとめた3期生のお一人で、神奈川李登輝友の会の副
支部長をつとめています。

 今回の児玉神社例大祭には神奈川李登輝友の会から、呉正男顧問、石川支部長、池本好
伸副支部長、遠藤正弘副支部長、野村勝美副支部長、栗山威郎幹事、大谷龍一幹事、佐藤
雅彦事務局長、羽田野直樹事務局次長、澁谷陽子事務局次長など、ほとんどの支部役員が
参列していますが、大谷幹事と佐藤事務局長以外は台湾李登輝学校研修団の卒業生です。

 野村さんが書かれているブログ「ノムさんの時事短評」では、李登輝前総統が揮毫され
た「兒玉神社」の扁額写真をはじめ、例大祭の写真が掲載されています。メルマガでは写
真掲載できませんので、どうぞこちらをご覧ください。

 ちなみに、この児玉神社について書かれているブログ冒頭で、野村さんが江の島の案内
図に児玉神社が記載されていないことを指摘されていますが、6月24日に神奈川県支部の方
々と児玉神社へ上がった折に、支部の方からやはりこの指摘がありました。

 そこで、本部の柚原正敬事務局長が案内図(江の島イラストマップ)を作成している藤
沢市観光課と藤沢市観光協会宛に訂正依頼状を送って申し入れたところ、藤沢市観光協会
から、8月末にできあがる改訂イラストマップ(20万枚)では訂正すべく児玉神社と打ち合
わせしているとの連絡が入りました。また、藤沢市や観光協会で出している他のパンフレ
ット類も来年春までに訂正すると確約していただきましたので、ご安心ください。
 いささか長い訂正依頼状ですが、次に掲載いたします。

 なお、今回の例大祭に参列できなかった支部会員の方もおりますので、神奈川県支部と
して、来る10月1日(日)に参列する予定だそうです。参拝時間や集合時間など、詳しい内容
につきましては、支部事務局から連絡するとのことです。          (編集部)

■ブログ「ノムさんの時事短評」
 http://www.nomusan.com/~essay/index-jubilus.html

■神奈川李登輝友の会連絡先
 〒232-0071 横浜市南区永田北3-18-14 佐藤方
 TEL・FAX:045-713-7342


【7月26日 ノムさんの時事短評より】

 皆さん、こんにちは。

 23日の日曜日、江ノ島にある『児玉神社』で例大祭があり、御祭神・児玉源太郎大将の
歿後100年が祝われたのであります。併せて前台灣総統・李登輝先生御揮毫による扁額の除
幕式が行なわれました。この間、雨はあがり、空はどんよりしていましたが、降られるこ
とはありませんでした。

 私は中学校の修学旅行で江ノ島へ来ました。江ノ島への橋は、木橋でした。島にある旅
館で泊まった記憶があります。眠りの中で、ど〜ん、ど〜ん、という波の音がずうっと響
き続けて、その音が記憶に残っています。中学校は大阪でした。藤沢から江ノ島・鎌倉を
回り、東京へ出ました。皇居へ行きました。靖国神社へも行ったと思います。古いアルバ
ムを取り出せば、写真が残っているはずです。

 江ノ島へ渡るのはそれ以来です。50年余を経たんですね。夢のようです。

 江ノ電・江ノ島駅で下りて、改札を出た場所にある案内の看板を見ました。しかし、「
児玉神社」がありません。駅員さんに児玉神社を訊ねると、知らないといいます。すぐ前
の店の女性に聞いても、知らない。何か、大きなポカやったのではないかとあせりました
。「江ノ島にあるんですか?」と問われ、そうですといいますと、江ノ島への方向を教え
て呉れました。

 134号線をくぐる手前右側に、観光案内所がありました。そこではさすがに児玉神社を知
っていました。ざっと説明を聞いて地図を貰い、歩きました。江ノ島について案内図を広
げますと、なんとそこには「児玉神社」が無いのです。

 結果として、「14後藤新平の詩碑」がその境内にあるのでした。

 「児玉神社」が藤沢市の観光行政からも顧みられない存在だったことは、あとで氏子の
方のお話を横で耳にして、それなりに理解しました。但し事実関係を確認していません。
今度10月1日に再度参拝しますので、その時に確かめてみたいと思います。何でも藤沢市の
首長に革新系の人が続き、児玉源太郎“大将”などというのは嫌われた、というのです。

 児玉源太郎の名は、司馬遼太郎先生の『坂の上の雲』で知りました。日露戦争で日本を
勝利に導いた最重要の指揮官であったでしょう。

 この人が 1898-1906 の9年間、台灣の総督を務め、台灣近代化の礎を築いたとして、台
湾人からも深い尊敬を受けています。

 この社殿には、台灣・阿里山麓の檜が使われています。鳥居も敷石もすべて台灣のもの
だそうです。「一対の狛犬像は台灣の名工の手にかかるもので、鑑賞に価する逸品であり
ます。」と社のリーフレットにあります。

 戦前戦後を通じ日本に住む台湾人は、よくここを訪れたそうです。お父上が高座海軍工
廠の舎監を務められ、「高座日台交流の会事務局長」の石川公弘氏は、少年たちは休みに
なるとよく江ノ島を訪ねたと話されました。児玉神社にも寄られたでしょう。海の向こう
に故国がある、少年たちがよく歌った歌は“椰子の実”だったと、石川さんは云います。

 式典後の挨拶の中で藤沢市議会議長さんは、児玉神社を「貴重な観光資源として」PR
していきたい、“中華民国”の方にも多勢来て頂きたい、とおっしゃっていました。それ
は是非そうして頂きたいものです。今までが「もったいない」ことをしていたと思います。

 ただ“中華民国”と何度も強調しておられました。これは深い政治的意味合いでなく、
単に気を遣っただけと思いますが、むしろ『台灣』の方がいいのです。

 この社殿の設計は当時の侍者建築の第一人者、伊東忠太工学博士があたり、当社社殿は
現在でも近代神社建築の模範と称せられている、とリーフレットにあります。

 おしまいに Kyoko Cooley さんよりのメールを添付します。このお便りはその前段があ
るのですが、それは次回とします。
(中略)
 児玉神社、江ノ島にあったとは知りませんでした。(児玉源太郎という人物も全く知り
ませんでした。)
 どうして李登輝さんが関係しているのか知りたくてネットで調べました。
 台湾人の児玉総督に対する感謝の気持ちから、神社の鳥居、社殿、狛犬など、台湾人か
らの浄財で造られたと知り、あまりの美談に感動しています。
 児玉神社についての時事短評を楽しみにしています。
(後略)


(2006.07.27追記)

 藤沢市の首長について調べてみました。
 http://members.jcom.home.ne.jp/4052395001/qrf/study.htm
 によりますと、

 “高度経済成長期を経てほぼ現在の宅地衛星都市としての姿を形成した藤沢市は、選挙
区として「革新の牙城」と呼ばれる時代を迎える。当時の社会党若手論客で後の民主党衆
院議員となる葉山峻氏が24年間に亘って市長を務める葉山時代の到来である。1972年に市
長初当選した葉山氏は、その後1996年まで一度の落選もなく6期を務めることになる。そ
の間、県政・国政選挙でも革新候補が保守候補を度々圧倒した。”

 とあります。革新の牙城だったんですね。

 葉山峻市政24年のあと現在の山本捷雄市長が、3期目に入っている訳です。山本さんが
どのような傾向の方か、隣の鎌倉に住む仲間に訊ねていますが、まだ返事がありません。

 いずれにせよ、長かった葉山峻市長時代、児玉源太郎“大将”は冷遇されたのでしょう。
未だに市(藤沢市観光協会)の“江ノ島イラストマップ”に「児玉神社」は入っていない
のです。

 荒れ果てていた児玉神社を、私財を投げ打って再興に導きつつあるのが山本白鳥宮司な
のだそうです。

 珍しい女性の宮司さんですね。

 このお社には色々と興味ある話が秘められていそうです。10月1日の再訪が楽しみです。