[投稿]「嘘をつく」を読んで 【劉 文玲】

もう一つのアイデンティティーについて考える

「嘘をつく」を読んで−もう一つのアイデンティティーについて考える
                                    劉 文玲

 上記の「嘘をつく」という文は、今年大学生になって一人暮らしを始めた長男が、3年
前、高校1年生のとき校内作文コンクールで優勝した文章だ。

 帰化していない私にとって、自分が台湾人であることになんの違和感もないが、帰化し
ていても自分が日本人であることに違和感がある先輩は多いのでは? でも、自分の子供
は果してどうだろう? 血縁と国籍だけでアイデンティティーが確立するのだろうか?

 長男が生まれたころ、私は仕事のため一生懸命日本語をマスターしたい時期だったから
、2人の子供に中国語を教える余裕がなかった(いまからみると、それは全て私の怠慢だ
った)。長男は2歳のとき、ちょうど天安門事件があったので、“こんな国の言葉を習わ
なくてもいい”と自分の怠慢に口実を得られたようで、妙に自分を納得させた。

 文の中に彼は台湾で経験したエピソードを書いていたが、実は中学校3年生のとき、日
本社会で自分が外国人である疎外感を感じさせられた事件があった。

 彼の通っていた中高一貫校は首都圏ではそれなりに有名な進学校だった。学校で“陳”
という名前のために、あるグループからからかわれ、嘲笑の対象となった。そのことを悩
んでいた彼に、私はこう言ってやった。
 “ママとパパは台湾人だけど、君は大人になって、日本に帰化して名前を変えてもいい
のだ。でもそれまでは、ずっとこの名前を背負って生きなければならない。名前が悪いの
ではない。彼達は他人が親からもらった名前をからかう自分の幼稚さに気がつかなかった
だけなのだ。だからママから学校の先生に頼んで止めてもらうのではなく、自分で相手に
わからせるのだ。君はもっと強くなれ、彼達に立ち向かいなさい!”

 あれから息子は自分の気持ちを彼より一回り大きな相手にぶつけ、グループのリーダー
に謝ってもらった。自力でこの事件を解決したため、あの日を境に、彼は大きな自信を得
たように逞しくなった。その事件の半年後、学校の国際交流交換留学生のプログラムに選
ばれた。応募理由に彼はこう書いた。
 “彼の国の事とそこの華僑の生活を知りたい、そして私のように日本社会に融和してい
る外国人がいることを紹介したい。”

 それから数が月後、彼はこの文を書いた。思春期の16歳、多感な少年は自分のアイデン
ティティーについての苦悩をこの文に綴っている。自分の子供に対してあまりにも非情だ
ったのか、それともアイデンティティーについて悩んでいた時期の自分と重ねているのか
、この文を何回読んでも感動を覚えるのだ。

 アイデンティティーは国家、人種、言語の結束によって確立されることが多い。特に単
一民族の日本ではその傾向が強い。台湾人両親の元で、台湾の国籍を持ちながら日本生ま
れの日本育ち、台湾の言葉に不自由な彼は、自らの出自を決定しようとするが、その問い
には答えることができず。そしてその問いかけから逃避する自分の姿を“嘘をつく”とい
う題名に重ねている。

 今年大学受験後の彼は、台湾へ中国語の勉強をするため、7月の「formosa tour」に参加
する。息子にとってそれらは自分探しの旅だろう。きっと彼は答えを見出すのだ。いつか
“日本人か台湾人か”という問いかけが彼を脅かすことのできない日がやってくると信じ
ている。それまで親の私はただ目を細めて見守るしかないのだ。

2006,6,22



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