昨日の本誌でも「急報」でお伝えしましたように、昨日午前、黄昭堂・台湾独立建国聯
盟主席が大動脈剥離による心停止で急逝されました。本当に残念です。謹んで哀悼の意を
表します。
本会理事で、台北事務所長の早川友久氏はすぐ台湾独立建国聯盟本部に駆けつけ、王康
厚秘書長の下、弔問記帳などの準備を手伝いました。ホームページで、遺影とともにお亡
くなりになる前夜のことなどを記しています。下記をご参照ください。
なお、台湾独立建国聯盟本部では昨夜から弔問の記帳を受け付けています。またご葬儀
の日取りも決まったそうです。
本会は11月30日〜12月3日、役員訪台団(田久保忠衛団長)として台湾を訪問しますが、
帰国日は12月3日ですので、予定を変更し告別式に参列することと致します。合掌
◆弔問記帳
時 間:毎日午前9時から午後6時まで(11月18日から1週間ほど)
会 場:台湾独立建国聯盟本部(台北市杭州南路一段27號)
◆黄昭堂先生のご葬儀
日 時:2011年12月3日(土)午前9時〜
会 場:第二殯儀館(台北市辛亥路三段330号)・景仰庁
黄昭堂・台湾独立建国連盟主席が急逝 早川 友久(本会理事・台北事務所長)
黄昭堂・台湾独立建国連盟主席が11月17日午前11時20分ごろ、台北市内の病院で急逝さ
れた。79歳。
台湾独立建国連盟本部(台北市杭州南路一段27號)では、毎日午前9時から午後6時まで
祭壇を設け弔問を受け付ける。期間は週末も含めて一週間程度の予定。
なお、告別式は12月3日(土)午前9時より、台北市内の第二殯儀館(台北市辛亥路三段
330号)・景仰庁にて。また、同日午後2時より、台北市内の大稲埕長老教会(台北市
甘州街40号)にて追悼ミサを執り行う。
黄昭堂主席は17日午前、市内の病院で鼻の手術を終えた後、回復室で休憩中に心臓が停
止。台湾大学病院へ救急搬送されたが午前11時20分、死去された。
1932年(昭和7年)、台南生まれ。台大経済系を卒業後、東大留学中に王育徳氏らととも
に台湾独立運動に参加したため、国民党のブラックリストに載りパスポートを剥奪される。
東大で修士および博士を取得した後、都内の大学で講師を歴任し、昭和大学教授(退職後、
名誉教授)。李登輝総統が民主化を進め、ブラックリストを解除した1992年、34年ぶりに
台湾に帰国。1995年から台湾独立建国連盟主席、2000年の民進党政権誕生後は総統府国策
顧問も務めた。
本会が11月上旬に開催した第16回・李登輝学校研修団では4日に講義をしていただき「来
年の1月、蔡英文さんは勝ちますよ。心配ない」とお元気に喝破される姿を見たばかり。そ
の洒脱でユーモアに富んだ話しぶりで、台湾、日本を問わず多くの人々の敬愛を集めた。
亡くなる前夜も蔡焜燦・李登輝民主協会理事長らと食事し、夜には許世楷・前駐日大使
と電話で会話したばかりだった。黄主席はもともと心臓病と高血圧を抱えており、それが
急死に繋がったとみられている。死去後まもなく、蔡英文・民進党主席が台大病院へ弔問
に駆けつけている。18日に退院予定の李登輝元総統へも群策会の王燕軍・秘書長を通じて
早い段階で知らされたという。
台湾独立建国連盟には許世楷・前駐日大使や羅福全・元駐日大使、辜?敏・新台湾国策
シンクタンク理事長ら、盟友が駆けつけた。夕方には祭壇が設けられ、多くの人が弔問に
訪れた。なお、台湾独立建国連盟が発行したプレスリリースは下記。黄主席の詳細な経歴
などを掲載している。 【文責:本会台北事務所】
◆台湾独立建国聯盟プレスリリース
http://www.ritouki.jp/news/20111117.pdf