関口長太郎顕彰会が関口命の足跡を漫画本にとクラウドファンディングで募金中!

 関口長太郎(せきぐち・ちょうたろう)といえば、台湾に関心を持つ人々の多くは、芝山巌(しざんがん)事件で非命に斃れた「六士(ろくし)先生」の一人だとすぐ思い浮かべるにちがいない。

 芝山巌事件とは、日本が日清戦争に勝利し、清国から割譲された台湾を日本が統治しはじめた1986年(明治29年)1月1日に起こった、6人の教師惨殺事件のことだ。

 その前年の7月、音楽教育の先駆者でもあった文部省学務部長心得の伊沢修二は、日本全国から優秀な志ある教師を募集し、台北郊外の士林に「芝山巌学堂」という台湾初の学校を開き、教師たちは身魂をなげうって台湾人子弟の教育に当たっていた。

 統治間もなくの台湾はまだ政情が不安で、日本人を敵視する匪賊も少なくなく、周辺住民は教師たちに再三退避を勧めたが「身に寸鉄を帯びずして群中に入らねば、教育の仕事はできない」として学堂を離れなかった。

 1月1日、6人の教師が台湾総督府における新年拝賀式に出席するため芝山巌を下山しようとしたとき、100人ほどの匪賊に取り囲まれ、6人は教育者として諄々と道理を説くも匪賊たちは槍などで襲いかかり、衆寡敵せず全員が惨殺されてしまった。

 この非命に斃れた6人は、楫取道明(山口県)、関口長太郎(愛知県)、桂金太郎(東京府)、中島長吉(群馬県)、井原順之助(山口県)、平井数馬(熊本県)で、後に「六士先生」と尊称され、明治31年秋、靖國神社に合祀されている。

 現在、熊本県熊本市には平井数馬顕彰会、愛知県西尾市には関口長太郎顕彰会があり、それぞれに顕彰活動を行っている。

 このほど関口長太郎顕彰会(中川美穂会長)は、たくさんの方に関口長太郎命の偉業を知っていただき、誇りに思い、生きる力を得てもらえればと、『漫画で知る西尾市の偉人 関口長太郎』の出版を企画した。

 総費用は180万円。すでに西尾市からは市制70周年記念公募事業として認められて50万円の補助が決まり、クラウドファンディングで50万円、残り80万円は寄付を募るそうだ。1万冊を出版し、関口長太郎命が校長をつとめたこともある西尾小学校をはじめ、西尾市内の全小学校25校に4700冊を寄贈しや図書館や公民館などにも寄贈する計画だという。

 クラウドファンディングの目標は意外と低い50万円。10月1日からはじめ、11月4日現在の支援総額は164,000円となっている。締切は12月3日(日)23:59。

 六士先生の足跡を漫画で紹介する試みは、いままでにない画期的な企画だ。ご応募は下記のURLからお願いします。

◆クラウドファンディング「漫画で知る西尾市の偉人 関口長太郎」(10月1日〜12月3日) https://camp-fire.jp/projects/view/701097

                ◇     ◇     ◇

関口長太郎(せきぐち・ちょうたろう)安政6年(1859年)11月11日、旧西尾藩士の関口宇左衛門の末子として愛知県幡豆郡西尾町(西尾市)に生まれる。藩黌修道館に学び、秋山恬堂に漢学を学ぶ。明治10年、愛知尋常師範学校を卒業。小学校勤務後、西尾錦城学校、西尾尋常小学校の訓導として学校長を兼務。幼児教育の重要性に着眼して西尾幼稚園を設立。同27年、西尾尋常高等小学校の校長に任命。妻を失い、娘の浪を知人に預けて訪台。36歳のときに芝山巌事件に遭い歿す。その後、明治37年1月、西尾城址の一角に伊澤修二撰文の「関口長太郎碑」が建立(西尾市錦城町162)。現在、関口長太郎顕彰会は毎年11月に関口長太郎先生慰霊顕彰祭を斎行している。

※この記事はメルマガ「日台共栄」のバックナンバーです。


投稿日

カテゴリー:

投稿者: