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写真:新北市長選に立候補し、市場を回る蔡英文氏(右)=2010年10月、台湾・中央通信社提供
「我が党は苦しい道を歩んできたが、谷底は脱した」。2009年暮れの県市長選で、民進党は現有
から1増の四つのポストを得て、党主席だった蔡英文(ツァイインウェン)はそう総括した。得票
率も約45%に回復していた。
民進党の再生は与党・国民党の「敵失」が後押しした面もある。同年9月の雲林県での立法委員
補欠選挙の直前、南部で700人を超す死者・行方不明者が出る水害が起き、対応が遅れたと馬英九
(マーインチウ)政権への強い批判の声が上がっていた。
蔡個人の試練となったのは、翌年の直轄市長選だった。蔡は、台北を取り巻くように位置する新
北市長選に出ることになる。
蔡にとっては初めての自身の選挙戦。100カ所以上の市場を訪ね、商店主らと握手して回った。
民進党の選挙戦の専門家、陳俊麟は「エレベーターの隅でうつむき、誰にも気づかれたくないとい
うような人だったが、選挙でだいぶ変わった」と振り返る。
この選挙では、投開票の前夜に国民党幹部が銃撃されて重傷を負う事件が発生し、空気が一変。
蔡も落選する。だが、蔡の腹心の一人、劉建忻は「勝てなかったが、よくやったと受け止められ
た。蔡のイメージで有権者の党に対する見方も変わっていった」と話す。
党の「体質改善」も進んだ。その一つが、党中央の若いスタッフの地方選挙への派遣だ。次世代
の人材育成と、現地の情報収集が狙いだった。
今回、総統府報道官に起用された黄重諺は09年の県市長選の際、離島の澎湖県に3カ月余り入っ
た。地方の支持者と面識もなく、手探りだったが、選挙グッズの作成やイベント開催などを手伝っ
た。当初は世論調査で30〜40ポイントの差をつけられていたが、ふたを開けてみると国民党の現職
に600票差まで迫っていた。
地方の選挙を手伝ったとき、やくざに脅されたこともあったが、「選挙を終えて戻るころには地
方の事情も分かってきて、国民党のやり方もつかめた」と黄はその効果を語る。選挙を重ねるた
び、民進党の「戦闘力」は回復していった。=敬称略
(台北=鵜飼啓)