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写真:2008年11月、中国の対台湾窓口機関トップ来訪への抗議集会に参加した蔡英文氏(中央右)
=台湾・中央通信社提供
台湾総統の蔡英文(ツァイインウェン)は2008年、権威が失墜した民進党の立て直しを主席とし
て担うことになったが、党歴は浅く、党内の情勢にも疎かった。
「だれがどの派閥なのかも知らなかった」。総統府特任副秘書長に就いた劉建忻は当時の蔡を振
り返る。民進党は派閥争いの激しさで知られたが、蔡はそういう世界とは無縁だった。
派閥とかかわりがないことは、党内に支持基盤がない裏返しでもある。主席として持ちこたえら
れるか怪しむ声があったのには、そうした背景もあった。
だが蔡は、結果的にこれを逆手に取った。当時40歳前後の党の若手を派閥にこだわりなく集めた
のだ。元行政院長の游錫コンに近かった劉もその一人だ。この世代がその後、党を支える中核に
なっていく。
反体制運動から生まれた民進党には激しい気性の人が多く、物言いも遠慮がなかった。党の世論
調査責任者だった陳俊麟は「以前の幹部会議はののしり合いのようだった」と話すが、妥協点を探
るのが得意な蔡が主席になってからは会議が穏やかになったという。
長年、党で働き、多くの幹部と接してきた陳は蔡について「政策に多くの時間をかけるのが最大
の特徴」と話す。スタッフにも、政策のしっかりした論拠を求めた。納得しないと質問攻めにされ
るため、スタッフ側も蔡の前に出るときには入念な準備をした。
党を変えると同時に、蔡自身も変わり始めた。馬英九(マーインチウ)政権発足から半年後の同
年11月、中国の対台湾窓口機関、海峡両岸関係協会トップが初訪台して台湾で大きな抗議運動が起
き、蔡も加わった。陳は「まだ民衆との距離は遠かったが、運動のエネルギーを体感したようだ」
と話す。
幅広く少額の献金を募る運動などを通じ、支持が戻り始める。試金石となったのが09年9月、国
民党現職の失職に伴う中部・雲林県の立法委員(国会議員)補欠選挙だった。民進党候補が6割近
い得票で当選。06年以来となる主要選挙での「勝利」で、再生の手がかりをつかむことになる。=
敬称略
(台北=鵜飼啓)