許文龍氏を悼む 上田 真弓

 昨年11月18日に奇美実業創業者の許文龍氏が亡くなられ、千葉県成田市在住の本会会員の上田真弓氏(うえだ・まゆみ、男性)から、現在発売中の月刊「正論」3月号の投稿欄に許文龍氏を悼む投書が採用され「ぜひ多くの台湾関係者に読んでもらいたい」とお送りいただいた。下記にご紹介したい。

—————————————————————————————–許文龍氏を悼む上田 真弓

 昨年11月、台湾を代表する企業・奇美グループの創始者で、大変な親日家だった許文龍氏が亡くなった。

 私は2003年に産経新聞が主催した李登輝元総統にお会いして講義を受ける「産経李登輝学校」に参加した時、許氏にもお会いしてお話を伺うことができた。本当に日本が大好きで、台湾が発展したのは日本時代の教育のおかげだと社員たちに教えているという話に大変感銘を受けたことは今でも鮮明に記憶している。

 私は日本で買った台湾旅行のガイドブックを持って行ったのだが、台湾の歴史について書いてあるところに、日本は台湾を植民地にしてひどいことをしたという内容が書いてあった。私が「台湾を旅行する日本人がこれを読んで誤解したら困ります」と話すと、許文龍氏は「なんでそんな嘘を書くんだ」と驚き、「その本をいただけませんか?」と言うので差し上げたこともあった。

 その10年後、台湾を旅行した時にホテルでテレビを見ていると許氏が映っていた。それは台湾の発展に貢献した日本人を許氏が紹介している番組だった。水利技術者で、烏山頭ダムの建設に携わった八田與一氏。「台湾水道の父」とされる浜野弥四郎氏。台湾総督府の民政局長(後に民政長官)として台湾統治に功績を挙げた後藤新平氏。サトウキビ農業のための地下ダムの埋設に尽力した農業土木技師、鳥居信平氏。台湾の殖産興業の要が製糖業と見抜き、産業発展の礎を築いた新渡戸稲造氏。「台湾紅茶の祖」と呼ばれる新井耕吉郎氏。番組ではこうした数多の日本人を紹介しており、感激した。 

 許氏はこうした台湾の発展に貢献した日本人の胸像を制作し、ゆかりの地に設置してきた。台湾の人たちが日本を大好きなのは、許氏の貢献も大きいだろう。許文龍先生、ありがとうございました。

※この記事はメルマガ「日台共栄」のバックナンバーです。


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