台湾がまだ蒋介石独裁政権による白色テロの恐怖におののいていた時代、司馬遼太郎の『台湾紀行』で案内役を務めた「老台北」こと蔡焜燦氏の実弟の蔡焜霖氏は、無実の罪を着せられ、政治犯として10年も太平洋の孤島、緑島(旧・火焼島)に投獄された。
蔡焜霖氏の半生を描いた漫画作品が『台湾の少年』(全4巻)で、日本では岩波書店から2022年7月から2023年1月にかけて出版された。改めて蔡焜霖氏の来し方や戦後台湾の歴史を知り、1巻を読み終えると次の巻の刊行が待ち遠しかった。
蔡焜霖氏には、日本李登輝友の会の李登輝学校研修団で緑島視察を行ったときに講師として緑島まで来ていただき、その後も、この研修団で何度か講師として白色テロをテーマにお話しいただいた。景美人権博物館を視察したときにも同行してお話しいただいた。
台湾独立建国聯盟日本本部も2014年3月の「台湾2・28時局講演会」で蔡焜霖氏をお招きし、「台湾の白色テロ 1950年代─その実情と現代における意義」と題してお話しいただいた。蔡氏が講演の最後に語った言葉はいまも忘れられない。
「子供の頃からずっと兄の袖にしがみついてきた。兄は私に『自分の小さな一部を照らせ』と言った。台湾の若者とともに新しい台湾をつくるためにがんばっていきたい」
この年の4月29日、実兄の蔡焜燦氏は日本から旭日双光章を受章された。蔡焜霖氏も2021年4月29日、兄と同じ旭日双光章を受章、兄弟そろっての叙勲となった。
台湾独立建国聯盟日本本部での講演から3年後の7月17日、蔡焜燦氏は90歳で亡くなられた。「台湾歌壇」に外務大臣表彰受賞という朗報が届いた半月後のことだった。
3つ年下の蔡焜霖氏は今年12月に満93歳を迎える。いまもお元気で、最近、西日本新聞とMomoチャンネルが立て続けに蔡焜霖氏にインタビューした。下記に、「Momoチャンネル」の動画を紹介し、別途、西日本新聞のインタビュー記事をご紹介したい。
0:00 はじめに1:01 緑島での生活4:06 厳しい監視4:38 緑島での言語6:23 忘れられないできごと10:39 緑島再反乱案13:25 友の死の真相14:41 白色テロの不条理17:40 台湾の少年18:17 これからの台湾18:39 選択と責任
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蔡焜霖(さい・こんりん)氏昭和5年(1930年)12月18日、台湾・台中州清水街(現台中市清水区)に生まれる。旧制台中第一中学校の在学中に参加していた読書会が共産党の外部組織の集まりとされたことで、卒業後の1950年9月に逮捕。非法組織参加の罪で懲役10年の刑を課せられ、台湾本土の拘置所で8ヵ月、残り9年4ヵ月は火焼島(緑島)で服役。1960年9月に釈放後、淡江大学フランス文学科に学び、1966年に児童誌『王子』を創刊。1968年に台湾東部僻地の紅葉小学校の少年野球チームを援助して全国大会で優勝させたことにより、台湾少年野球の黄金時代を現出する契機を作る。その後、実業界で活躍。現在、流暢な日本語を駆使して翻訳やガイドに活躍。2021年4月29日、旭日双光章を受章。「台湾歌壇」代表の故蔡焜燦氏は実兄。
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