【レポート】台湾2・28時局講演会が盛大に開催される

【レポート】台湾2・28時局講演会が盛大に開催される
白色テロ受難者 蔡焜霖氏を迎えて

 戦後台湾を占領した国民党軍が台湾人を大虐殺した228事件から67年を迎え、3月2日、新宿区の京王プラザホテルで「台湾2・28時局講演会」が行われた。事件に続いて国民党政府が行った白色テロにより、火焼島(今の緑島)などで10年間投獄された蔡焜霖氏(84歳)が語る壮絶な受難の生涯に約180人が耳を傾けた。蔡焜霖氏は司馬遼太郎の『台湾紀行』で案内役を務めた「老台北」、蔡焜燦氏の弟。

 冷たい雨の中駆けつけた聴衆で会場はほぼ満席となった。3万人近くに上るとされる犠牲者に黙祷が捧げられた後、講演会を主催した台湾独立建国聯盟日本本部の王明理委員長が挨拶に立ち、「事件が発生した1947年当時は報道規制が敷かれ、日本でも事件はほとんど知られなかった。そんな中、台湾人は『いつか日本人が助けに来てくれる』と信じていた」と述べ、「台湾は今もなお真の独立国家ではない。歴史から学ぶべきという思いで私たちは毎年この会を続けている」と訴えた。

 続いて交響詩「228」を作曲した河津清・山口大学名誉教授が挨拶。台湾の大学に招聘され渡台経験のある河津氏は、「台湾は何と素晴らしい国だろうと思っていたが、事件のことは知らなかった。2008年に初めて228のことを台湾の友人から聞き、世間知らずだった自分を恥じた」と、交響詩「228」を作曲した思いを語った。

 司会者の多田恵・同聯盟中央委員は、「馬英九国民党主席は、『やったのは国家の軍隊であり国民党がやったのではない』と遺族への賠償を拒否し、さらに学校教科書から228事件を消し去ろうとしている。事件は歴史ではなく今も続いている」と指摘した。

 1950年9月、高校卒業後に故郷・台中県清水鎮の町役場に勤務していた蔡焜霖氏(当時20歳)は、突然特務に逮捕される。布で手をしばられて彰化行きのバスに乗せられると、兄・焜燦氏が後を追って乗り込むが、互いに目配せを交わすことしかできなかった。高校時代に参加した読書会が摘発の理由だった。拘置所では電気ショックや殴打の拷問のほか、罪状を認めれば家へ帰すと騙され書類への署名を強要された。

 「狭い部屋に30人くらいぶちこまれて足を折り曲げて寝た。新入りの私は肥え桶の脇に寝かされ、誰かが用足しする度に顔にとばっちりがかかる。ハンカチを顔にかぶせ泣きながら寝た。その後、火焼島に送られた時、足を伸ばせて寝られるので、天国だと思った」と語る。

 だが、こうした肉体的苦痛も死を宣告される恐怖には及ばなかったという。扉が開いて点呼された者は、服を着替えさせられ刑場へ送られた。

 実刑10年が下され火焼島に送られる。火焼島では教師、教授、医者などエリート揃いの囚人が、島の住民に医療や教育、農業指導を施した。将校も軍医ではなく囚人の医者の診察を受けたがった。その後、同島からは多くの校長を輩出している。

 島では洗脳教育を受けさせられるが、毛沢東批判の課目で教えられる共産党の悪逆非道の暴行の数々は、皮肉にも国民党がしていることと全く同じだった。こうした状況の中でも、死を賭して自分たちの勉強会を密かに行った。

 女子囚人に恋文を書いたかどで、友人の囚人らが捕まる。軍法裁判での判決が国防部、参謀部、そして蒋介石総統によって不当に覆され、女子1人を含む11人の囚人が処刑される。これは後に「緑島再反乱事件」と呼ばれる。この事件の犠牲者の孫に当たる青年が最近、祖父の遺書などを探し当て、事件の不当性を暴いた。 

 刑期を終えて故郷へ帰ると、父はすでに9年前に他界していた。「囚われたのがもし兄の焜燦だったら父も死ななかったと思う。私は内気で気が弱かったから、父は心配したのだろう」と声を詰まらせた。

 社会復帰後は数々の困難に遭いながらも広告業界や出版業界、生命保険業界で活躍し、現在は体験者として事件の真実を伝え、若者たちと共に世界に向けて発信している。「国共内戦の延長としての白色テロとの闘いは今一番リアルな話題」であり、真実を国際社会に訴えていくという。

 「子供の頃からずっと兄の袖にしがみついてきた。兄は私に『自分の小さな一隅を照らせ』と言った。台湾の若者と共に新しい台湾をつくるためにがんばっていきたい」

 蔡焜霖氏の闘いは未だ終わっていない。

 最後に評論家の金美齢氏と同聯盟前委員長で評論家の黄文雄氏が挨拶した。金美齢氏は「震災後やっと日本人が台湾を振り返り始めた。台湾は日本にとって重要な国。台湾選挙の時、日本人は台湾人を応援しているというメッセージを送ってほしい」と訴えた。黄文雄氏は「193カ国の国連加盟国はどの国も民族問題を抱えている。今世紀、民族問題が大きな問題となってくるだろう」と指摘し、「台湾は独立できると確信している」と強い口調で語った。(文・山田智美)

編集部註:「一隅を照らす」とは、「お金や財産でなく、自分自身が置かれたその場所で、精一杯努力し、明るく輝くことが大事だ」という最澄の言葉。

2014.3.3 18:10 配信


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