【4月24日 産経新聞】
司馬遼太郎著「台湾紀行」に博識の“老台北”として登場する著名な台湾の実業家、
蔡焜燦(さいこんさん)氏(80)が23日、東京・大手町の産経新聞東京本社を夫人の李
明霞さん(81)とともに訪れ、「心のふるさとは京都だ」などと、1時間あまりにわた
って日本への思いを語った。
戦前の台湾で教育を受けた日本語世代の一人で、自ら「愛日家」と称する蔡氏は、自
信を失いかけた日本人に事あるごとに、「日本人よ胸を張れ!」と激励するなど、民間
レベルで長年にわたって日台交流を実践してきた。
こうした労苦に対し、日本人の有志を代表する形で産経新聞社とフジサンケイ ビジ
ネスアイはこの日、蔡氏と夫人に感謝状と記念品を贈った。
蔡氏と夫人は京都、大阪を経由して5月1日に台湾に戻る予定。
≪講演要旨≫
「“愛日家”というのは私の造語だ。現在の私たちは元日本人としか言えないが、首
から上は今でもニッポン的。おばあちゃん(蔡夫人)は寝言も日本語。にぎりずしが大
好きで、昨夜も寝言で『小鰭(こはだ)』などと言っていた」
「司馬遼太郎先生から以前、心のふるさとはあるかと聞かれたとき、京都と答えた。
昭和20(1945)年、終戦後に京都府美山町(現南丹市)で2カ月ほど炭焼きをしていた。
今も京都の黒瓦の建物や五重塔を見るだけで落ち着く。ふるさとに帰ってきたつもりだ」
「(昭和8年に蔡氏が入学した台湾台中の母校の)清水(きよみず)公学校は、日本
全国どこにもなかった校内有線放送設備や16ミリ映画の映写設備があった。その副読
本だった『総合教育読本』を卒業生や日本の方々に読んでもらいたいと思い、復刻版を
(自費で)出版した。日本の方々に、もっと自信を持ってもらいたいからだ」
「これが植民地の学校だろうか。植民地、植民地といって(統治時代の問題など)で
たらめなことをいう人がいるが、(副読本は)日本人が当時、こんなにも高い教育を台
湾で行った事実の証明ではないか」
「昨日(22日)に靖国神社の春季例大祭に初めて参加した。今年から4月29日は『昭
和の日』になった。その日に私たちが日本にいることは、感慨深い」