若者たちよ【最終回】 李登輝・台湾前総統

「第5回日台文化交流青少年スカラシップ」講演から

【4月18日 フジサンケイ ビジネスアイ】
http://www.business-i.jp/news/china-page/news/200804180039a.nwc

■公の人、後藤新平に学べ 日本人として奮闘せよ

 みなさんは後藤新平という人を知っていますか。(日本統治時代に)児玉源太郎が第
4代台湾総督だった時、8年7カ月にわたって(1898〜1906年)民政長官として台湾総督
府で仕事をした日本人だ。当時、台湾を(他の国とは近代化のペースで)1世紀違う国
に築き上げた。

 台湾での功績は非常に大きかった。(日本統治が始まる1895年以前の)清朝時代の台
湾は漢文を読んで暗記することが基本だったが、後藤新平は(台湾全土に学校を建設し
て教科書を作り教員を多数派遣する)教育政策を進めた。

 後藤新平は元は医者。岩手県水沢の人だ。医学校を出て当時の日本でも珍しい(先進
的な考え方)。日清戦争(1894〜95年)からの帰還兵に検疫検査を行い、外地からの伝
染病侵入を防いだ。また岐阜で遊説中に暴漢に刺された板垣退助を医師として救出して、
命を救った。その後、台湾では衛生観念の向上やアヘン吸飲習慣の根絶など、実にさま
ざまな仕事をした。

 後藤新平の伝記を読んでほしい。公共につくす人。信仰をもっている。「私は何者だ
?」との問いに、結論を出すにあたって(研究対象として)最もふさわしい人物だ。公
(おおやけ)のため、日本のため、学校のためでもいい。日本人としてみなさんも奮闘
してください。

                    ◇

 若い人たちに何を期待するか。指導者の条件として私はまず「信仰」をもちなさいと
いう。どんな宗教でもいいから、(物事の正否の判断に当たって)しっかりした考え方
の基準が必要だ。次に「権力放棄」してほしい。自分が置かれた立場がもつ権力は自分
のものじゃないんだ。すなわち「公と私(わたくし)の区別」。「私は私でない私」と
言ったけれども、すなわち公のために尽くす私がいるのであって、私だけのために生き
る私がいるのではないということだ。

 「人がいやがる仕事」を進んでやりなさい。私は中学生のころ、進んで便所掃除をや
ったよ。どれだけ自分が耐えられるか、自分で試したかった。最後に「カリスマのマネ
をしてはいけない」。新聞やテレビに登場するような人物ばかり(が実社会を構成して
いるの)じゃないんだ。

                    ◇

 昨年、東京から仙台、松島や山形、秋田を回って、芭蕉(ばしょう)の「奥の細道」
を歩いた。だがまだ、芭蕉の旅は新潟から大垣まで残っている。できればもう一度、歩
いて「奥の細道」の旅を終わらせたいと思っている。それ以外に、長いこと行っていな
い九州にもいってみたい。宮崎とかね。

 台湾の人が日本に行くにはもうビザ(査証)がいらないはずだが、どうも私は違うみ
たいなんだ。日本の外務省はちっとも変わっていない。福田(康夫)首相は(仮に)私
が日本に旅行に行く、といったら(中国政府が)怖くて来させないかもしれないな。

 福田首相はこわごわとしないで、大きく座って(大きな気持ちでどっしりして)言う
ことはハッキリ言って。そう伝えてくださいよ。みなさんありがとうございました。

                    ◇

■台湾で交わる2人の精神性

 李登輝・台湾前総統は昨年の訪日時に「第1回後藤新平賞」を受賞し、6月1日に東京
で記念講演を行った。後藤新平が民政長官として戦前の台湾で行った業績を挙げ、「今
日の台湾は後藤新平が築いた基礎の上にある」とまで称(たた)えた。その中で、政治
家には権力掌握を目的とする者と、仕事を目的とする者の2種類がある、と指摘。「後
藤新平のもつ人間像には、今の日本の政治家にはみられないものがある」と語った。

 李氏は曽文恵夫人とともに敬虔(けいけん)なクリスチャンとして知られている。総
統時代など苦しい決断を迫られたとき、政界やマスコミ、時には同僚たちや民衆からも
激しい批判や非難を浴びたとき、夫妻で聖書を開き、そこに示された言葉に苦難を乗り
越え、解決の道を見つけるすべを求めたという。

 その李氏からみて、「後藤新平はどのような宗教かは不明だが信仰をもっていたと十
分に認められる」という。信仰は機械的な論理ではなく、人的感情の感覚や判断が大事
だと話した。「後藤新平と私をつなぐ根本的な精神は強い信仰(異なった宗教でもかま
わない)を持っていることで、後藤新平は私にとって偉大な精神的導師だ」とまで言い
切っている。

 仕事のために権力をもち、その権力を台湾という「公」のためにすべて使い切ったと
いう点において、仮に年代は異なっていても2人は、台湾という空間を共有し、精神的
に交わっているといえる。               (河崎真澄)

写真:もう一度訪日し、新潟から大垣まで訪れて「奥の細道」の旅を完成させたいと話
   す李登輝・台湾前総統(長谷川周人撮影)



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