日本の最西端に位置する沖縄県の与那国島(与那国町)が今年5月、台湾東部の姉妹
都市・花蓮市に連絡事務所を開設した。政治の壁もあって道は平坦(へいたん)ではな
いが、地方分権化という潮流を踏まえて始まった“自治体外交”だ。初代・連絡事務代
表の田里千代基氏は「足元が見えてきた」と、手応えを感じている。
(花蓮 長谷川周人)
田里氏によると、今年10月に両者が姉妹都市となって25周年を迎えるのを記念し、初
の直行チャーター便が花蓮−与那国間で就航する見通しがついた。台北から投資グルー
プの呼び込みも始まり、与那国にホテルやヨットハーバーなどを併設するレジャー施設
「国際村」を建設し、早ければ2年後、台湾との間を高速艇で結ぶ計画も動き出してい
る。
与那国から花蓮までは110キロで石垣島とほぼ等距離。那覇まで520キロで、東京まで
は2000キロもある。かつて人や物が頻繁に行き来した台湾との往来復活による町おこし
は、長年にわたる島民の悲願だった。
終戦まで台湾との交易で栄えた与那国は、米軍統制下で国際港としての交流の道を絶
たれ、1972年の沖縄復帰後も台湾との交易は那覇、石垣島経由に限られた。この結果、
「日本の行き止まり」(外間守吉与那国町長)となった与那国の経済は衰退し、かつて
1万人を超えた町民も現在は1700人を割り込んだ。
石垣市などとの合併案もあるが、同町は2005年4月、「近隣諸国との友好関係に寄与
する『国境の島守』として生きる」と自立宣言。日本政府に台湾との往来活性を促す「
国境交流特区」の申請を行ったが、国は中国への配慮もあってこれを認めなかった。そ
こで同町は自力で花蓮に事務所を設置、独自に台湾との交流に乗り出した。
一方、台湾で発展の波に乗り遅れた東海岸の花蓮にとっても、日本との交流拡大は歓
迎だ。観光など地域経済の活性に加え、東アジア経済圏で台湾の存在アピールにもつな
がり、蔡啓塔市長(国民党)は「双方展開による新しい交流が楽しみだ」と期待が膨ら
む。
地方自治体が日台間に開けた小さな風穴だが、そこに微妙な問題を投げかけるのが、
与那国は日本の安全保障上も重要な問題をはらんだ地域であるということだ。
「防空識別圏(ADIZ)」は、米軍が行った沖縄占領当時の線引きを日本が放置し
ているため、識別圏の境界線(東経123度線)が与那国上空を通る。このため島の東側は
日本の航空自衛隊の管制空域にあるが、西側は台湾空軍の管制空域という事態が続いて
いる。
「一つの中国」を主張する中国はこの空域をも自国の管制下にあると見なす。1996年
3月の「台湾海峡危機」では、与那国沖60キロの海域にミサイル1発を撃ち込んだ。
日台境界線の実態は変質を始めているが、日本政府は「東アジア共同体」構想でも台
湾の存在を認めていない。経済、安保も含めた日本の対応が問われている。