ムの畔に建つ「台湾農業者入植顕頌(けんしょう)碑」だった。
戦前の1933年(昭和8年)、台湾の農業者が初めて石垣市名蔵に約100人、西表島に約50人が入植
する。石垣島ではパイン産業と水牛耕作という技術革新をもたらして農業に多大な貢献をしたこと
から、それを讃えて「台湾農業者入植顕頌碑」が建立された。2012年8月10日、中山義隆・石垣市
長ら建立を呼び掛けた地元関係者と台湾農業者の子孫など約100人が参加し、傍らに水牛の像も建
つ顕頌碑の除幕式が行われている。
この顕頌碑前で李元総統を待っていたのは、台湾からの移住者でつくる琉球華僑総会八重山分会
(湯川永一会長)の皆さんだった。その多くは二世だ。謝長廷・台北駐日経済文化代表処代表らも
参加した。
李元総統は「戦中、戦後の石垣で台湾の人々の貢献は大きい。一人の台湾人として誇りを感じ
る。融和の象徴である碑が台湾と石垣島の友好の証として、歴史を伝えていくことを願う」と挨拶
され、石垣に移住された人々のご苦労をねぎらわれた。
琉球華僑総会八重山分会は8月1日、市内の「蓬莱閣」で李元総統の歓迎晩餐会を開いている。こ
のときの李元総統は終始、満面笑み。とても気分がよさそうで「台湾万歳」や「沖縄万歳」という
言葉も発するほどに上機嫌だった。贈られた八重山特産のミンサー織の藍色に近い青色のワイシャ
ツや、曾文惠夫人に贈られたミンサー織のバックもとても気に入った様子だった。
この席には、ドキュメンタリー映画「海の彼方」(海的彼端)の黄胤毓(こう・いんいく)監督
や、映画に登場する移住一世の玉木玉代さんや、息子さんで琉球華僑総会八重山分会の副会長をつ
とめる玉木茂治氏、『八重山の台湾人』(南山舎、2004年)を著した松田良孝氏なども参加してお
り、この映画の紹介も行われた。
実は、台湾の中央通信社がこの映画の詳しい紹介を2回にわたって紹介している。なぜか前編が8
月6日、後編はそれより前の8月3日に掲載されている。
台湾の人々が石垣島や石炭採掘のために西表島に移住した歴史は、ほとんど知られていないと
言ってよい。そこに光をあてたのがドキュメンタリー映画「海の彼方」であり、李元総統の訪問
だった。
中央通信社の記事は珍しく長いが、力が入っている記事だ。全文をご紹介したい。
沖縄の台湾移民を写した映画「海の彼方」 家族視点で日台の歴史描く(前編)
【中央通信社:2016年8月6日】
http://japan.cna.com.tw/news/aart/201608060008.aspx
写真:左から玉木慎吾さん、黄胤毓(こう・いんいく)監督
(台北 6日 中央社)八重山諸島・石垣島に移り住んだ台湾移民の家族の物語を通じ、過去の日
台の歴史を描き出したドキュメンタリー映画「海の彼方」(海的彼端)。同作を手掛けたのは、日
本への留学経験を持ち、現在は沖縄を拠点とする若手の台湾人監督、黄インイク(黄胤毓)監督。
今作が初の長編ドキュメンタリーとなる。同作は7月上旬、「第18回台北映画祭」(台北電影節)
で世界プレミア上映された。記者は映画祭に合わせて訪台した黄監督と出演者の一人で日本で
ミュージシャンとして活躍する玉木慎吾さんに作品の背景、撮影秘話などについて話を聞いた。
作品の中心となるのは、日本統治時代に石垣島に移り住んだ夫に嫁ぎ、戦後の1940年代後半に台
湾から同地にやって来た玉木玉代さんとその子孫たち。88歳になった玉代さんの台湾への里帰りの
旅と家族の人生を通じ、複雑な東アジアの歴史を辿っていく。同作は八重山の台湾移民をテーマに
したドキュメンタリー三部作企画「狂山之海」の第1弾でもある。
「狂山之海」は2015年ベルリン国際映画祭主催の若手製作者向けプログラム「ベルリナーレ・タ
レンツ」のドキュメンタリー企画部門に選出。スイス・ニヨン国際ドキュメンタリー映画祭のピッ
チングセッションでは大賞を受賞するなど、国際的にも注目されている。
◇隠された歴史
台湾移民は日本統治時代、農地開拓を目的に沖縄へ渡ったが、戦時中に台湾に強制送還される。
戦争が終わると政治的問題により彼らの居場所は失われ、再び沖縄へ。移民らはそれから1972年の
沖縄返還後に日本国籍を取得するまで、台湾に戻ることも出来ず、無国籍者として生き続けた。
八重山の台湾移民は「台湾の人も、日本の人も知らない隠された歴史」だと語る黄監督。監督自
身、以前は大学の授業で少し聞いたことがあるだけで、具体的なイメージは無かった。だが、大学
在学時に台湾在住のタイ人労働者をテーマにした作品(「五谷王北街から台北へ」)を製作するな
ど、かねてから民族や移民に関心を持っており、日本への大学院留学を機に、台湾移民が住む八重
山に行ってみたいと思っていたという。
今作を製作する重要なきっかけになったのは、八重山で生活する台湾人の歴史を記録した書籍
「八重山の台湾人」(松田良孝著、2012年に台湾でも翻訳出版)。同書を読んだ黄監督は、それが
深いテーマだと感じ、2013年の中頃、実際に現地に足を運んでみることに。1年近くに及んだ
フィールドワークで話を聞いた人数は150人以上に上る。そして2014年の後半に作品を考案。調査
から完成までには約3年を費やした。
◇「家族」の視点から
「私は堅い歴史ドキュメンタリーは撮りたくないので、各世代の人もいて、里帰りの旅もあっ
て、という一つの大家族の家族史を通してその後ろの八重山の台湾人の歴史を語れるようにとの大
きな野心を持ち、1本目(海の彼方)は製作しました」(黄)
黄監督は「家族視点の作品」にこだわりを示す。同作では玉代さんの孫の慎吾さんがナレーショ
ンを担当しているほか、玉代さんの息子で慎吾さんの父である茂治さんが撮影したホームビデオの
映像も使われている。
「この作品は歴史の資料もあって、無いものはアニメーションや油絵を使ったりするんですが、
もっと親密な視点を入れたかった。『家族視点の作品にしたい』。それは私の最初からの野心でし
た。通常は歴史を語る時、冷たい。有名人がナレーションを語るとか、全然関係無い人が話すと
か。そういう系ではない作品が撮りたかった」(黄)
「玉木一家に会った時、大きな感動を覚えました。おばあさんと息子、娘達の雰囲気が良くて、
映画に撮りたいと思って。家族っぽい作品にするということで、慎吾さんにナレーションをお願い
し、孫の視点から話してもらうことにしました。でも、まだ足りない。歴史を語るには歴史資料が
必要。それは確保するけれど、それでも何か足りない。ようやく足りるようになったのは、茂治さ
んのホームビデオ。数カ月の撮影の末にようやく信頼を得て、茂治さんから使用許可がもらえて。
それがこの作品において私の野心を満たす大きな鍵になったと思います」(黄)
後編に続く(http://japan.cna.com.tw/topic/column/201608030001.aspx)