熊本県益城町に「大甲の聖人」志賀哲太郎の顕彰碑が建立

 台湾・台中市の人々から今でも「大甲の聖人」と尊敬されている教育者の志賀哲太郎(しが・てつたろう)は、その名前も事跡も日本ではほとんど知られていないと言ってもよい。平成8年(1996年)に展転社から出版された名越二荒之助・草開省三編『日本と台湾・交流秘話』で紹介されたのが恐らく日本で初めて志賀哲太郎を伝える文献だろう。

 志賀は熊本県益城町(ましきまち)津森の出身で、明治から大正にかけて、台湾台中市大甲区において、公学校(台湾人の小学校)の教師として尽力し、一介の代用教員でありながら、台湾の発展に寄与した幾多の人材を育成。また、常に慈悲、質素、謙虚を信条として人々に接し、今もなお、「大甲の聖人」として台湾の人々に敬愛され続けている。

 2015年(平成27年)、生誕150年の節目の年に顕彰会実行委員会が発足し、翌年、正式に「志賀哲太郎顕彰会」(宮本睦士会長)となり、「志賀哲太郎先生顕彰のつどい」などを開催するとともに、志賀が教員を勤めていた台中市大甲区とも密接な交流を続けながら顕彰を続けてきた。

 本年12月19日、安倍晋三・前総理が揮毫した顕彰碑が益城町に建立され、木原稔総理補佐官や地元選挙区選出議員の坂本哲志大臣の臨席のもと、関係者が集って除幕式が行われた。

 顕彰碑の建立に尽力した「志賀哲太郎顕彰会」メンバーで、本会熊本県支部副支部長の白濱裕・元大津高校校長からは「当日は、晴天に恵まれ、参加された皆さんにも喜んでもらえたと思っています。今後は、台湾との航空路が再開されたら熊本空港に近い場所ですので、台湾からの観光客も立ち寄りやすく、また、哲太郎の生家近くの小学校(津森小)に隣接した場所に建設されましたので、子供たちも交えての墓前祭等、次世代に繋ぐ事業も企画していきたいと思っています」とのお便りをいただいた。

 下記に熊本テレビのニュース画像と産経新聞の記事をご紹介したい。

◆大甲の聖人 志賀哲太郎顕彰碑除幕式[TKU熊本テレビ:12月19日 55秒] https://www.tku.co.jp/news/20201219%ef%bd%993/

—————————————————————————————–台湾の教育に尽力「大甲の聖人」 地元・熊本に顕彰碑【産経新聞:2020年12月21日】https://www.sankei.com/article/20201221-RAVUBX2USBMPDDN7MQW6YAZFHY/

 明治・大正期、日本統治下の台湾に渡って児童教育に尽力し、現地で「大甲の聖人」と敬愛される志賀哲太郎(1865〜1924)を顕彰しようと、出身地の熊本県益城町に19日、石碑が建立された。石碑の建立は、郷土史家や熊本の「日台交流を進める会」などで組織した「志賀哲太郎先生顕彰会」が呼び掛けて実現した。

 この日は除幕式が行われ、顕彰会の宮本睦士会長が「志賀哲太郎を通じて台湾の大甲(現台中市大甲区)と益城町との絆が100年の時空を越えて再び結ばれることを祈念する」と述べた。台北駐福岡経済文化弁事処の陳忠正処長は「志賀哲太郎は、いかなる時も『日本精神』で子供たちに接した。今でも(台湾では)遺徳がしのばれている」とあいさつした。

 志賀は新聞記者などを経て、日清戦争後の下関条約で、清から台湾が日本に割譲された翌年の明治29年、31歳で台湾に渡航。数年後、北西部の街、大甲で小学校の代用教員となり、59歳で亡くなるまで子供たちの教育に情熱を注いだ。

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