当時は中国からの圧力が並大抵ではなく、岡山市と姉妹都市を結んでいた中国の洛陽市からは「日中共同声明に反する」ことを理由に強い反発を招き、遂には姉妹都市関係を凍結するという事態になりました。
ただ、岡山市は外務省に確認し、米国の自治体が中国と台湾の双方の自治体と姉妹都市を締結していることを綿密に調べ上げたうえでの新竹市との都市間提携でした。後年、洛陽市から「当時の市長の認識が間違っていた」というお詫びとともに「復縁」の申し入れがあり、現在も岡山市は洛陽市とも新竹市とも交流を続けています。
また、新竹駅は日本時代に建設された優雅な駅舎でも有名で、2015年2月21日、ほぼ同時期に建てられている東京駅と「姉妹駅」を結んでいます。さらに、新竹公園内にある新竹市立動物園と上野動物園は2016年10月21日、動物保護に関する技術の共有や動物医療分野の人材育成における協力などを盛り込んだ「友好交流協議書」を結んでいるなど、新竹市は日本ととてもゆかりの深い町です。
新竹市と言えば、IT関連の企業などが集まる「台湾のシリコンバレー」と称される一方、戦前から「ガラスの町」としても知られています。台湾一のガラス産地として栄えたそうです。
新竹公園にはガラス博物館の「玻璃工藝博物館」があり、2年に一度「ガラスフェスティバル」が行われているそうです。
この新竹市内に、台湾の廃ガラスの半分を集め、断熱性の極めて高い軽量の防火建材や美しいデザインのガラス製品などユニークな商品として生まれ変わらせ、日本からも「ガラスのリサイクル事業をビジネスとして成功させるのはとても難しい。春池ガラス実業の取り組みに敬意を表したい」と注目されている「春池ガラス実業」があるそうです。毎日新聞が報じていますので、下記にご紹介します。
先般、本誌で、台湾の「光宇材料」という会社が、太陽光パネルや半導体を廃棄する際に発生するシリコンのごみを粉砕してケイ素繊維に再生する技術を開発し、一方、日本のパネル検査機器メーカー「システム・ジェイディー」が数百枚あるパネルの中から断線するなど不具合のあるパネルを特定する機器「SOKODES(ソコデス)」を3年前に開発、今年1月から太陽光発電パネルを繊維にリサイクルする取り組みを台湾で始めたことをお伝えしました。
ガラスは、パソコンやスマートフォンの液晶画面でも使われていることから廃ガラスが急増するも、液晶ガラスは特殊な素材のため再利用が容易ではなかったところ、特殊な加工を施すことで再利用への道を開発したのが、春池ガラス実業だそうです。
日本でガラスのリサイクルに取り組む企業などで作るガラス再資源化協議会は「互いに発展する方向で協力できれば」と関心を示しているそうですので、太陽光発電パネルのように地球環境を守るリサイクル実現に向け、日台が力を合わせられるなら最高です。これぞ「日台共栄」です。
なお、春池ガラス実業からもそれほど遠くないところにある18ヘクタールの広さを誇る新竹公園には、日本から贈られた河津桜がたくさん植えてあり、今や新竹市は桜の名所として名を馳せています。「新竹の桜守」こと楊根棟先生たちが接木で増やしてきた尽力の賜物です。
間もなく河津桜と台湾原産の寒緋桜(台湾では「台湾桜」とか「山桜」と呼んでいます)が満開を迎え、2月10日前後に「桜祭り」が開かれます。河津桜と山桜がいっせいに咲く光景は見事です。ぜひこの時期に訪れることをお勧めします。
◆春池玻璃實業有限公司(春池ガラス実業) 新竹市牛埔路176号 TEL:(03)538-9165 FAX:(03)538-0914 E-mail:spglass9@ms34.hinet.net ホームページ:http://springpoolglass.com/
————————————————————————————-台湾の廃ガラスの半分を再生する工場 ケンブリッジ大出身長男が苦境救う【毎日新聞:2019年1月22日】https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20190122-00000000-maiall-cn
台湾北部・新竹市の「春池ガラス実業」には台湾全体で回収される廃ガラスの実に半分に当たる10万トンが運び込まれていると聞き、現地を訪ねた。大量の廃ガラスは、職人たちの手によって住宅用の防火建材や美しいデザインのガラス製品などユニークな商品として生まれ変わっていた。廃ガラスの可能性を追求し、「持続可能な社会を子や孫の世代に残したい」との思いを胸に奮闘する工場を取材した。
◇日本統治時代からガラス産地として繁栄
春池ガラス実業を訪れると、ガラス製の花瓶や置物、器などが並べられた展示室に案内された。オレンジや黄色、青など色つやが鮮やかで美しい。「すべて廃ガラスを利用し、社員たちがつくり上げた作品です」。会長の呉春池さん(70)と長男で会長補佐の呉庭安さん(34)が出迎えてくれた。
新竹市近郊の山地では日本統治時代の1920年ごろ、ガラスの原料となる良質な二酸化ケイ素の鉱脈が大量に見つかり、日本企業が開発した。台湾一のガラス産地として栄えた。太平洋戦争中、米軍による空襲で多くの工場が被害を受けたが、戦後、再建が進んだ。
春池さんは小学校を卒業後、廃ガラスの回収で家計を支えた。32歳だった81年に独立し、工場を建てた。回収した廃ガラスから不純物を取り除き、種類と色で分類し、窯で溶かして、新しいガラスを製造する。とても地道な作業だ。「当時は環境保護などより、とにかく食べていくことに精いっぱいだった」と春池さん。ちょうど台湾社会は高度経済成長期。廃棄されるガラスの量が増え、顧客を増やして事業を拡大した。社員らとアイデアを練り、余った在庫を使ってデザイン性の高いガラス製品を次々と考案。台湾の高級ホテルの客室で使われるガラス製のコップなども引き受けるようになった。ガラス回収・再生の分野で台湾最大の企業に育て上げた。
工場に入ると、ちょうど職人たちが溶かしたガラスから今年のえとにちなんだブタの置物を作っていた。中華圏のえとでは日本がイノシシの年は「ブタ年」になる。鄭建平さん(69)は「美しい作品ができあがると、とてもやりがいを感じる」と、はにかみながら話してくれた。
春池さんの背中を見て育った庭安さんは成功大(南部・台南市)で資源工学を学んだ後、英国のケンブリッジ大で工場の品質や工程管理などに関して学び、修士号を得た。2009年に帰国後、半導体受託生産の世界最大手、台湾積体電路製造(TSMC)に就職した。だが「父の力になりたい」と12年、退社。春池さんの右腕になった。
◇台湾全土の廃ガラスの約5割を再生
その頃、春池さんは苦境に陥っていた。パソコンやスマートフォンの液晶画面に使われるガラスの回収量が年々増え、その処理に困っていたのだ。庭安さんによると、液晶ガラスは特殊な素材のため再利用が容易ではないという。庭安さんは再利用の道を探り、特殊な加工を施すことで、断熱性の極めて高い軽量の防火建材に生まれ変わらせた。13年から量産を始めてシンガポールに輸出するようになり、収益の柱の一つに成長した。16年には蔡英文総統が視察に訪れ、資源循環型社会の実現に向けた成功事例だと称賛した。
日本でガラスのリサイクルに取り組む企業などで作る「ガラス再資源化協議会」(東京都)の加藤聡幹事は「ガラスのリサイクル事業をビジネスとして成功させるのはとても難しい。春池ガラス実業の取り組みに敬意を表したい。互いに発展する方向で協力できれば」と関心を示している。
台湾行政院(内閣)によると、台湾で回収される廃ガラスは99年に5.5万トンだった。行政主導で業者に補助金を出すなど回収の強化に取り組み、18年は20.5万トンにまで急増した。庭安さんによると、春池ガラス実業のガラス回収量は毎年10万トンを超え、台湾全体のおよそ半分を占める計算になる。
海洋汚染を引き起こす廃プラスチック対策が国際的に叫ばれていることを受けて、プラスチックストローに代用できるガラス製ストローの製造も始めた。庭安さんは「新しい原料で一からガラスを製造するのに比べ、廃ガラスを新しいガラスに再生する方がエネルギー消費は少なくて済む。二酸化炭素(CO2)の排出も大幅に抑制できる。余計なガラス原料の消費も防げる。廃ガラスの再生が地球環境の保護に果たす役割は大きい」と生き生きとした表情で話した。【福岡静哉】