団)を実施した。参加者は35名。最終日の4月30日、元気を回復された李登輝元総統の特別
講義を拝聴、参加者の一言も聞き逃すまいという真剣な眼差しが印象的でした。
すでに機関誌『日台共栄』7月号に掲載していますが、今回で3回目の参加となる嶋田早
貴(しまだ・さき)さんにレポートしていただきましたので、ここに2回に分けてご紹介し
ます。
ちなみに、嶋田早貴さんは中国語が堪能な20代半ばのOLです。今回の副団長をつとめ
ていただいた嶋田敦子さんはお母さんです。今回は団長の村上俊英氏のご子息も参加する
など、これまでも親子や夫婦で参加されるケースも少なくないのがこの研修団の一つの特
徴です。
なお、次回(第18回)の日本李登輝学校台湾研修団は、11月22日(木)〜26日(月)に
行うこととなりました。近々ご案内いたしますので、ふるってご応募ください。
李登輝先生がお元気で良かった!(上) レポート・第17回日本李登輝学校台湾研修団
嶋田 早貴(第17期生)
4月26日から30日、第17回日本李登輝学校台湾研修団(略称・李登輝学校研修団)が行
われ、団長を理事で岐阜県支部長の村上俊英(むらかみ・としひで)氏、副団長を参加3回
目となる嶋田敦子(しまだ・あつこ)氏が務め、計35名の団員が参加、とても充実した内
容の研修となった。
昨年11月、大腸ガンの手術をされた李登輝先生は驚いたことに、最近また台湾一周の旅
を始められたそうで、とてもお元気でした。
◆第1日・4月26日(木)
桃園空港に到着後、空港からバスで淡水のホテル成旅晶賛飯店へ。到着後すぐ徒歩5、6
分ほどの群策会へ。
群策会に着くとすぐ始業式があり、王燕軍秘書長のご挨拶と群策会の紹介があった。そ
の後、蔡焜燦先生(李登輝民主協会理事長)による「台湾と日本の歴史の絆」の講義を拝
聴。日本人は台湾人に2つのことを教えた、それは「公」と「私」の区別、そして「モノ作
りの精神」だと力説。
終了後はホテル近くのレストラン「海中天」にて夕食会が開かれ、蔡先生や王秘書長な
ど群策会スタッフの方々と楽しいひとときを過ごした。
◆第2日・4月27日(金)
群策会にて午前九時から黄智慧先生(中央研究院民族研究所)の「原住民の歴史と新た
な日台関係」の講義。台湾には2000メートル以上の山から遺跡が見つかるという話や、3万
年前の長濱遺跡もあるなどの話にビックリ。日本には原住民研究者が世界一多いそうで、
これにも驚かされた。
第2講は羅福全先生(前台湾駐日本代表)による「台湾と日本の安全保障」の講義。日台
関係でもっとも大切なのは安全保障で、日本にとって台湾は重要というご指摘に納得。
途中、台湾鉄道弁当の昼食を挟み、午後は迫田勝敏先生(中日新聞・東京新聞通信員)
による「選挙後の台湾情勢」の講義。総統選挙後の研修団ということで、なぜ民進党は勝
てないのかについて「含涙投票」という言葉が紹介され、馬英九はダメだが、自分の意思
に反して涙を飲んで国民党に投票する行動だそうだ。選挙の裏事情などを交えた分析はす
ごく参考になった。
講義後、明日からの野外視察のため15時半に群策会を出発。MRTと高速鉄道を乗り継
いで台中駅へ向かい、宿泊先のホテル台中金典酒店へ。
ホテルでの夕食会には前駐日台湾代表の許世楷先生と盧千恵夫人をお招きし、明日訪問
する白冷圳(はくれいしゅう)についてのミニ講義をいただいた。盧夫人はガンの手
術をされたそうで、許先生が料理を夫人に取り分けられている様子はさり気なく自然で、
お似合いのご夫婦だ。
◆第3日・4月28日(土)
ホテルで朝食後、バスに乗り、許世楷先生ご夫妻が待つ白冷圳へ。
現地では、本会会員の黄木壽氏や白冷圳水流域促進会の詹益輝・理事長、徐炳乾・
総幹事など関係者も合流、白冷圳について詳しく解説していただき、歩きながら白冷
圳建設の歴史を学んだ。
八田與一(はった・よいち)の高校・大学の後輩にあたる磯田謙雄(いそだ・のりお)
が造った巨大な逆サイフォン式の送水管「白冷圳」を下から見上げると本当に大き
い。地形の変化を利用し、電気などの動力を一切使用せずに、逆サイフォンで高い所にま
で水が届く。この先人の偉業を目の当たりにし、当時の日本にこれほど素晴らしい技術が
あったことに驚き感動した。
近くのお洒落な安[女尼]公主花園レストランにて昼食。窓から白冷圳の大きなパ
イプを見つつ、許世楷先生より「これを作った時にはそれなりに問題もあったけれども、
この生活用水ができたことにより、この集落やここに暮らす人々の生活に潤いが持てた」
とのお話を伺い、今でも大切に受け継ぎ、語り継いでくれる台湾の方々への感謝の気持ち
でいっぱいになった。
その後、バスで台中公園へ。ここでは最初に、本会から台湾に河津桜を贈ったことを記
念して建立された桜寄贈記念碑を見学。
石造りの放送播音台や、横倒しになっている台中神社の鳥居などを見学後に再びバスに
乗り、宝覚寺へ。日本人墓地と境内に建つ「霊安故郷」碑に参拝し、村上団長と嶋田副団
長が献花。「霊安故郷」の文字は李登輝先生の揮毫で、戒厳令が解除されたのを機に、か
つての戦争で戦死した台湾籍元日本軍人・軍属3万余柱と、台湾住民で犠牲者となった人々
の御霊をこの寺に祀ることになった時に建てられた。
次に、台中市在住の喜早天海(きそう・たかひろ)氏のご案内により、台中市日僑学校
(日本人学校)の視察に向かった。
この学校は、1999年の集集大地震の際に倒壊したが、校舎再建当時、総統だった李登輝
先生のお力添えにより、早々と2001年に新校舎を落成することができたという。
校舎の玄関に掲げる「台中縣日僑学校」の扁額は李登輝先生の揮毫だ。一昨年、県と市
が合併して台中市になったことにより「台中市日僑学校」と新しく書き換えられたそう
だ。案内いただいた田村洋行副校長からその原紙を見せていただいた。日本人に対する李
登輝先生の温かく細やかなご配慮に、感謝の気持ちで胸が熱くなった。
校舎はとても綺麗で、整った立派な施設に驚いた。前のスケジュールが押して、2時間も
遅れての視察だったにもかかわらず、田村先生にはとても丁寧に案内していただいた。
日本人学校を後にし、バスを走らせること40分ほどで夕食会会場の香蕉新楽園に到着。
昔の日本統治時代の街並みそのものが復元された内装になっており、非常にレトロな雰囲
気の面白い店内だった。ここで東海大学助教授の王良原氏が合流。夕食後、若者組は駅前
の宮原眼科の建物を利用したショッピング・フードセンターへ。
(つづく)